中小企業診断士 中陳和人の                 「夢をかなえるブログ」~目指せあの頂へ~

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富山にもセブンイレブンが

 今年遂に我が富山県にセブンイレブンができた。
 既に富山市では先月だったか、第1号店群がオープンし、昨日第2号店群がオープンしたようだ。

セブンイレブン1

 私の妻の勤め先の近くに黒部堀切店というのが出来、本日足を運んでみた。
 特段品揃えが競合他店と比べて目新しいとか並びがどうとかいう感じは受けなかったが、冷凍食品が豊富なような感じと、レジの後背部に簡単な厨房のようなものがあったのが少し異質と言えば異質だろうか。

セブンイレブン2

 まあしかし、すごい人の賑わいであった。コンビニの店舗規模で自動車の誘導員が2名もいる場面に初めて出くわした。

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アグネス・チャンと昔の仲間からもらった元気

 アグネス・チャンのブログを見た。
 http://www.agneschan.gr.jp/diary/index.php

 我々の世代にとっては「おっかのうっえぇ、ひっなげしっのはあなでぇ」と歌う愛らしい少女の頃からのアイドルだ。
 今や年齢はすっかりおばさんなのだが、テレビで時折見る限りは、相変わらず初々しく可愛らしい。
 毎週土曜の午前中に民放ラジオでトーク番組を持っていて、彼女のブログが結構人気だということを自分で言っていたため見てみた。
 もう50歳ぐらいだと思うが、書いてある内容からは、20歳ぐらいの若々しさ、向学心にあふれた若々しさを感じる。
 日本語の発音や書き方がそれほど上手ではないことについて、歓迎しない人もいるかも知れないが、私は気にするようなことではないと思う。
 正しい日本語や美しい日本語というものは大切ではあるが、外国から来ている人たちにあまりそういうことは言わず、自由に表現していただければ、もっと日本語の国際化は進むのではないか、それが我が国の力強さに反映していくものと思う。

 さてアグネスのブログ。
 たまたま見た2月23日のもの。(勝手に抜粋させていただきました)

 ・・・今日のNHKの国際放送は英語のInterviewなので、昨日ベッドに入ってから、小さい声で練習しました。
 日本語と違って、英語は最初から結論が出る言葉なので、話す前からすべてを組み立てないと、上手く伝わりません。逆に、最初を聞くだけで、相手の考えがわかるので、相手が話している間に、反応は考えられるのです。日本語は動詞が最後なので、最後まで聞かないと、相手の意志がわからないため、すべての話を聞いてから、反応するのが礼儀ですね。
 国によって、言葉によって、コミュニケーションは違います。
 私にとって、英語で話すのはやっぱり、楽です。イギリス植民地に育てられての結果です。・・・

 という内容。
 英語は最初に結論を言うから、あらかじめ話す内容を組み立てておかなくてはならない、日本語は動詞が最後なので、最後の結論まで聞いてから反応するのが礼儀、という下りは、へえーっ、なるほどねえ、とうなってしまった。
 我々のコミュニケーションでも、途中で人の話を理解したつもりで遮って、反論したり潰したりする人がいる。先に結論を言います、とあらかじめ言われた場合は、それはおかしい、と最後まで聞かず反応することも許されるかも知れないが、そうでない場合は、礼儀としては良くないなと思う。
 英語圏の人が理路整然としていると感じるのはそういう背景があったのかと今さらにして知った。

 人の話を聞くというのはいいもんだ。

 ところで、先ほど大阪時代の職場の仲間から電話があった。
 マラソン大会の応援だとのこと。
 皆おおむね元気で、それぞれの特色を出してやっている様子。

 明日は金融業務検定「財務3級」。
 来週は経営相談会やら企業訪問やら社員研修やらで10社以上の経営者や若手社員などと会ったり議論したりと大忙し。
 今日明日は試験勉強や来週の仕事の準備で大変だが、昔のアイドルと大阪の友人から元気ももらったことだし、さあ、これからひと頑張りしよう!

水戸について

 長男が、水戸にある大学の受験に行ってきた。
 10倍近い倍率のため、合格は難しいと思う。
 難しいと思うし、さらに、東京より遠いというのは親として寂しいのでいやだなあとも思う。
 でも、水戸である。
 常陸の国なのだ。

 実は茨城には、皇祖皇太神宮が富山から移設して、鎮座ましましている。
 そういう意味では縁深い地である。
 いや、私にとってということではない。
 富山に元々あった皇祖皇太神宮が遷移した先が茨城だということだ。

 私個人にとっては特段の関係はないが、富山が世界の中心だと勝手に思っている私にとっては、そういういきさつで、茨城にはなんとなく親近感がある。
 よって、寂しいことではあるが、合格したら行かせてやりたい。
 私も出かけたい。一度は竹内巨麿氏が移設したという、現存皇祖皇太神宮を見てみたいと思っている。

 と、ここまで書いたら、富山の皇太神宮について書かないわけにはいかないだろう。
 初めて訪れたのは昨年の11月1日。
 呉羽丘陵の中にあり、入り口には富山大学の管理地だという表示があった。
 詳細は後日また書くが、今日はとりあえず、鳥居の写真を紹介しておく。
 昼なお暗い丘を登っていったところに突如あたりが開けてこの鳥居が迫る。
皇祖皇太神宮鳥居
 詳細は後日・・・・。

経営者にとって必要なこと

 金融機関の経営支援担当という仕事をしていると、どちらかというとちょっと危ない会社と接することが多い。
 最近とみに思うのは、経営者が経営管理という能力・意思に欠けていると、ちょっと環境がマイナス方面に傾くと、たちまち経営が傾くのではないか、経営者の資質がいかに大切か、ということだ。
 そんなことをとみに思う。
 少しこれまでの経験を整理して、あらためて書き記したいと思う。

次男との英語交換日記

 次男との英語での1行交換日記を始めて3日ほど経つ。
 私は往々にして三日坊主が多いのだが、今のところ続いている。
 中三の次男も今のところついてきてくれている。
 とりあえず三日続いたのは、とにかく簡単な英語一行でとどめていることだろう。
 それでも何を書こうかと毎日家路で考えている。
 結局正しい英語がわからないため、Webの翻訳サービスに頼っているのだが・・・。

 ともかく、別に毎日何が何でもやらねばならぬものでもないので、抜ける日もあって平気だ、くらいにお互いに意識を合わせている。
 ただ、なるべくやろうな、と言ってある。
 できるだけ、毎日継続してやっていきたい。
 少しずつ中学校の英語も思い出していき、そのうち、なんとか構文とか、なんとか代名詞みたいなものも使えるようになれば一石二鳥である。

次男の勉強支援のために

 次男の学力が極めて低い。
 高校3年間の間になんとか人並にしたい、と親ばかだろうとなんだろうと、なんとかしたいと切実に願っている。
 しかし願っているだけでは変わらない。我が子ゆえ、見てるだけ~ではだめだ。具体的な行動を起こさなくてはならない。

 たまたま先日、私が小学校6年生のときに受け持っていただいた先生に、ほぼ10年ぶりぐらいにお目にかかる機会を得た。
 子どもさんに「お前とは二人三脚だ」と言っておられるという話を聞いた。
 深い背景があってのことであるが、それについては書かない。
 その言葉、その態度に感銘を受けた。
 私も、真似してではないが、次男とは当分二人三脚で支援していかねばならないと思い、彼にもそう伝えた。

 そして、昨日から「連絡ノート」というのをつけるようにした。
 手始めは、これから新たな生活を営んでいくための出発点として「心の入れ替え」を絵にして書いた。
 そして、毎日、英語で日記をつけようぜ、ということにした。
 何日続くかわからない。
 毎日連続しなくてもいいと思う。
 始めることが大事だ。
 始めなくては何も始まらないし、何も変わらない。
 ともかく、昨日と今日の2日間は続いた。
 あと1ヶ月もすれば高校に上がる息子との交換日記・・・。
 変な感じではある。
 しかし英語力を毎日書くことで鍛えていこうというピュアな動機だ。
 しかも「交換日記」とは一言も言っていない。
 一行ずつでいいから、お互いにその日の出来事などを毎日書いていこう、ということにした。
 たぶん、しぶしぶでも本人も納得はしたようだ。

 私もよくわからない。
 英語など、ほとんど忘れた。
 文法などわかるはずがない。
 だが、やる。
 ともかく、始めたのだから当分続けるつもりだ。
 息子との二人三脚。
 頑張ろう。

新しいカバン

 ビジネスカバンには強いこだわりがある。
 ①収納性に優れていること
 ②新聞や雑誌などのポケットが外側にあり、出し入れがしやすいこと
 ③ノートパソコンを入れることができ、クッションもあること
 ④折りたたみ傘が収納できる別ポケットがあること
 ⑤ショルダー部分もしっかりしていること

 そんな条件に合うカバンがなかなかない。
 10年ほど前にユニクロが私の希望ピッタリの理想的なカバンを売り出した。
 しかも当時1990円だったか、破格の低価格だった。
 すぐに購入し、それから延々10年以上使ってきた。
 途中、営業課長になったときにビジネスマンっぽいカバンを使った時期もあったが、今はまた当時のカバンを引っ張り出して使っていた。
 やはり使いやすいからである。

 しかし、そのカバンもそろそろ細かな汚れやカビめいた汚れもあり、くたびれてきたなあ相棒よ、という感じになってきた。
 1年ほど前から後任を探してきたが、なかなか見当たらない。
 そのためだけにわざわざかばん屋を足を棒にして探し回るほどの余裕もない。
 と、昨日久しぶりにユニクロへ行ったら、新しいカバンが置いてあった。
 しばらくは安っぽく、かつ使い物にならないような変なカバンしかなかったのだが、昨日は久しぶりにちゃんとしたカバンが置いてあった。
 どうやら小学館のDIMEとコラボで作ったものらしい。

 私の希望する条件については、基本的な部分は満たしていた。
 しかし、まだ収納力の面では、ちょっと不足するような気がして昨日は買わなかった。
 が、帰ってきて、今のくたびれきったカバンを眺めていると、どうしても、そろそろ引退だよなあ、お前には苦労をかけすぎたよなあ、そろそろ休ませてやらんとなあ、という気になって、結局、合格点にはちょっと足りないが、一旦ここで気分転換も兼ねて、カバンを更新することにした。

 商品名は<DIME ブリーフケース>というものだ。
 これまで使ってきた1990円のものよりやや機能性において劣るし、値段は倍の3990円(ネットのオンラインで買えば2990円らしい)と高いが、唯一軽量だという点は良い。
 当分、使ってみる。が、だめなら、また元の「大御所」に復帰してもらうかも知れない。
 よって、大御所にはお疲れさんだが、まだ完全引退(ユニクロへ里帰り)ではなく、しばし押し入れで休養してもらうことにする。
ユニクロカバン

 カバンの写真をクリックしてもユニクロさんへは飛びません。お求めになられる方はユニクロオンラインストアへどうぞ。
 http://store.uniqlo.com/jp/

春のおとづれ、子どもたちの転機

庭の桃の枝

 訪れ、というものは、音がヅレることを意味する、と何かの本で読んだ覚えがある。
 小説だったかエッセイだったか学術書だったかは定かではないが、そんなことが書いてあり、普段私たちが使う「おとずれ(訪れ)」ではなく「おとづれ」と、「つ」に点々を打った「づれ」だということであった。
 ホントかどうかはわからないが、そういう表記がなんとなく日本的だなあと思い、間違いかも知れないが、「おとづれ」というタイトルにした。

 春一番が吹き荒れたのは1週間ほど前であったろうか。
 あれから我が富山県には雪が降る寒い1週間であったが、ほとんど積もることもなく、すぐに融けて平野部では今は跡形もない。
 降雪の合間を縫うように中国大陸からの黄砂が大量に降り注ぎ、車はまっ黄色。
 庭には桃の花が咲いており、海では釣り糸を垂らす人々もいるくらいだった。

 世の中の景気はまだまだ厳しいし、これから3月、4月にかけて倒産する会社も出てくるだろう。
 しかし季節は確実に春に向かって芽を吹き出しており、間もなく春がやってくる。

 まだ受験勉強が終わっていない子らもあるだろうし、就職の決まっていない学生もいることだろう。
 我が家では、長男が実技だけの二次試験という安易な道で大学受験の勝負をしようとしているし(学力がないのでそれで勝負するしかないのだが、どこまで通用するかはなはだ心もとない)、次男は早々に県立高校受験からリタイアしてしまった。

 次男については、一旦これまでの勉強不足だった自分に封印し、高校からのリスタートに向け、ゼロからやり直すというので、それもまた良しとエールを送ることにした。2年3ヶ月の単身赴任とそれに続く家にいない状態の計4年半の私自身の責任を痛感しており、本人のやる気がようやく出てきたこともあり、なんとかバックアップしてやりたい。
 オール1というと衝撃的な話だが、当らずも遠からずである次男を、さらにやる気を出させたいと思い、宮本延春という人の『オール1の落ちこぼれ、教師になる』という本を買い、昨夜自分でも目を通した上で、まずはこれから読んだらどうか、と渡した。

 やる気というのは本人次第のところがあって、回りの者がどれだけ躍起になってもあれこれちゃちゃを焼いてもいい材料を目の前に提示しても、本人がやる気がないと、ただの夾雑物にしかならない。我が愛する次男は、去年の12月からようやく勉強を始めた、といみじくも先日打ち明けてくれた。
 それで中学3年間の勉強をしようというのがそもそも間違いだし、間に合うわけがない。
 これまでの3年間は取り返しがつかないし、後戻りもできない。これからの3年間で多くのことをカバーしていかなければならない。そのためには相当の決意が必要だと思う。「まず、心の持ちようを変えよう」と言った。
 その、リ・スタートのためにこの本を読もうよ、と言った。




チョー忙しい

 子ども二人が受験。
 しかも彼らの望む学校に入る力がないため、今さらながら学校選びを毎日喧々諤々の状態で子どもたちとやっている。
 子育て、手抜きし過ぎたかなあと、取り返しのつかない思いである。

 そんな状況であるにも関わらず、行くべき自己啓発には行って来た。

 昨日。
 午前中は会社の研修。
 120人程度が集まり、時節柄のテーマで先輩たちがひとしきり語った後、残り時間わずか10分。
 元々は20分あったのだが、色々あって10分しか残っていない。
 資料配布だけで5分ででもできるように準備はしていたものだが、10分というまことに中途半端な時間となってしまった。喋らずに済ませることもできたが、アンケートに「喋らなかった」と書かれてもたまらないので、少々語った。

 午後は定番、毎月やっている「とやまキトキトBIZねっと」の例会。
 今回は富山富士通のSさんという中小企業診断士の「トヨタ式カイゼン活動」の紹介。
 毎晩の残業と午前中の疲れで、途中ウトウトしてしまったが、今回の内容はホワイトカラーの見える化による生産性の向上に関するもの。
 大変素晴らしい内容だったが、それをどう職場に導入するか、という点はなかなか大問題であろうと思う。
 この会社の場合はトップが真剣に導入を推し進めたこと、従業員みなさんが一つの方向を向いて取り組んだこと、コーディネータ的な人がそれらの間に入ってみんなをその気にうまくモチベートしたこと、が成功の要因のようだ。

 敷居の低い異業種交流&勉強会とやまキトキトBIZねっと

 もう少し中身に触れたいのだが、チョー忙しいので、今日はこのくらいにしておく。

三週間ぶりのビール

 三週間ぶりにビールを飲んだ。
 さすがに酔うた。
 でも心地よい酔い心地だ。

 ところで、書店に行くと、最近やたらと「大恐慌」だの「金融大崩壊」だのというネーミングを冠した<悲観論>の本が並んでいる。
 昨年末頃はせいぜいその手の本は10冊ぐらいしかなかったが、今は30~40冊ぐらい並んでいる。
 まるで雨後の筍状態だ。
 「悲観論商法」というか、人の不安な心理につけこんだ悪乗りではないかと、最近は思っている。
 そろそろ、明るい兆しの本が出てもおかしくない。
 と思って前向きなことを書いている人がいないかなあと、書店の棚をつらつら眺めてみた。

 唯一プラス思考の本は、長谷川慶太郎氏の『千載一遇のチャンス』という本である。が、これは既に先月から出ており、しかも長谷川慶太郎氏は常にプラス思考である。
 しかもこの人は、常に時の権力者のやることを「正しいこと」と書いておられ、かつ「日本は絶対安泰」という主張であり、そういう意味では、私の求める「この悲観論横行時代に、プラス思考の論調の、新しい主張をする人はいないのだろうか?」という設問への答には残念ながらならない。
 (個人的にはこの人の主張に頷かされることが多く、いつも大変勉強にはなっているのだが)

 その他、新味の本として、佐藤優氏と田原総一郎氏の『第三次世界大戦』という本は、内容は重厚で示唆に富んだものではあるが、悲観論の一角にある本であるという点で今回は購入せず。中谷巌氏の『資本主義はなぜ自壊したのか「日本」再生への提言』もしかり。
 と、つらつら眺めたが、あまりピンと来るものがなく、時間ばかり過ぎてゆく。
 そこで目に入ったのがラビ・バトラの『2009年 断末魔の資本主義』という本。
 帯に「2008年の予言はすべて的中 2009年の五つの予測は?!」と書いてあった。
 他の「悲観論一辺倒」的な本とは少し違うかも知れないな、と思って、時間がなかったこともあり、中もロクに見ずに買った。

 帰ってきて読んでみてビックリ&ガックリ。
 他の本以上に悲観論のオンパレードだった。
 曰く「NYダウは5000ドルまで下がり、日経平均も5000円まで下がる」「中国は不動産バブルと株バブルが弾ける」「イランが中東で暴れ出す」原油価格は再び100ドルを超える」「日本は内需で頑張らなければだめ」etc。

 う~ん。
 まだ厳しいのか。
 そろそろ光明を見出して「こっちへ行こう。 道は開ける!」という人はいないのか。

γ-GTPについて

 今日は一日、山も海もしっかりよく見えた素晴らしい日であった。
 まるで3月下旬のような。
 富山の冬としてはやはり異常な好天だった。(天気がいいのは嬉しいのだが。)

 さて、胆嚢と肝臓が思わしくない。
 という検診結果が出たために、再検査を受けた。
 結果は、胆嚢の石(胆石)はなく、胆嚢ポリープはほんの小さなものが2,3粒といったところで、今のところ問題はない、また脂肪肝もなく肝炎も大丈夫、とのことであり、とりあえず生きながらえたと思っている。
 しかし、γ-GTPの方は、昨年2月の221、今年1月のドックでの111、その4日後の血液検査での96・・・と下がってきたのだが、その1週間後の先週土曜日の値がまた戻って106。
 あれ?・・・これなんだ?と思ってしまう。
 折角アルコール2週間もストップしているのに、あまり効果がないなあ・・・。

 医師によると、肝臓病の心配はないが、何か健康食品で毎日摂取しているものがあるとしたらそれの影響かも知れないので、1ヶ月ぐらいやめてみて、再度検査してみてはどうか、とのことであった。
 折角アルコール2週間もストップして、さらにその後の1週間もストップしてきて、今日までで丸3週間飲んでないのになあ・・・と残念な気持ちであるが、しかし、水を飲んでいれば、アルコールを飲まなくても平気だな、というのが今の心境だ。
 とはいえ、やはり全くアルコールなしというのも寂しい。
 今日から復活、と思っていたが、γ-GTPの値が、飲まなかったにも関わらず舞い戻ってしまったので、躊躇している。

 もしかして医師の言うとおり、健康食品=にんにく卵黄の影響かなと、ネットで調べてみたが、投稿している人は、「にんにく卵黄を飲んだらγ-GTPが下がった」という主旨のものばかりである。
 してみると、健康食品の影響ではなく、純然と、長年のアルコールと糖分摂りすぎ&運動不足が原因であろうと思う。
 ということで、本日は1ヶ月ぶりにありそドームへ行ってランニングマシンで走ってきた。
 20分ちょっと、距離にしてわずか3kmではあるが、汗をしっかりかいて、かつ無理のない程度の運動をした。
 血圧が132の92で、なかなか下がらないなあと気にはなっているが、これもあせらず徐々にやっていくしかない。

人生は闘いの連続だ

 50年近く生きてきて、そして、子らが進学(できるかどうか)の春を迎え、また、これまでの人類数千年の歴史を学んできて、つくづく思う。
 人生は闘いの連続である、と。
 しかし人である以上(心、仲間としての生存、動物との闘い)、敗れ去った者を打ち棄てることをしてはいけない。
 それが人間だ。
 ある闘いのフィールドで敗れ去ったとしても、その人には違う得意分野があり、それで力を発揮するかも知れない。
 リベンジの機会が提供される、リベンジに向けた生存が赦される状況が必要だ。
 それが人間の社会であるべきだ。
 一度敗れても、再起ができるような社会保障の仕組みを整備しておくことが必要だと思う。
 そういうことが我々人間が人間として今後も生存していくための智恵ある営みではなかろうか。

 それにしても人の一生というのは、重き荷を背負うて、長い坂を上るが如しと喝破した徳川家康の言葉が今さらながら、実感として感じる。その重みを感じて、その重みを楽しみ、でもゼッタイにその重みに負けないしたたかさが必要だ。
 死んじゃいけない。
 したたかに、生きていかねばならない。

飲み水の研究その3

 最近ビールを飲んでいない。
 人間ドックを控えての体調コントロールのためにアルコールを3日空けたのだが、それくらいでは我が異常に高いγ-GTPは下がらなかった。
 昨年の221から比べるとましだったが、それでも111と、正常範囲の70程度を大きく上回り、判定はE。
 びっくりして、結局もう18日間連続して飲んでない。

 代わりに、水を飲んでいる。
 先日飲んだのは「奥飛騨原水」という商品と「黒部の天然水」といった商品。
 奥飛騨原水は、なんとなく鉱物っぽい味がする。
 気のせいかもしれないが、硬水ではなかろうか。
 残念ながら硬度は書いてなかった。
 一方黒部の天然水は硬度が5.9。軟水である。
 こちらは飲みやすい。
 すーっと入っていくような感じ。
 容器には富山ビバレッジと書いてあった。
 妻も飲みやすいらしく、私の湯のみに入っている水をスイスイと飲んでいる。

 2リットルのものを6本まとめ買いしてあるので、当面は大丈夫だ。
 しかも穴の谷の霊水もたっぷり汲みおきしてある。
(しかしそろそろビールが恋しくなってきた。今週末の診断結果にて正常値に戻っていたら解禁にしたいと考えている。記念に、ハイネッケンにしようかバドにしようかコロナにしようか・・・)

経営者必見! 失敗学のすすめ

 10年ほど前に畑村洋太郎という工学系の学者が書かれた『失敗学のすすめ』という本を読んだ。
 日本の組織は、失敗した人を袋叩きにするか、臭いものに蓋をするか、的な始末の仕方が多いように思う。
 ムラ社会だからか、なあなあにして、なんとなくなかったことにするケースも多い。
 そのため、失敗が教訓として生かされない。
 旧日本軍(特に陸軍)の上層部もそういう傾向にあったようだ。
 作戦で失敗した参謀を、「可愛そうだから」とか「あいつはオレが可愛がったやつだから」とかいう理由で、責任ある部署から離すということをせずに、別の方面へ転勤させ、そこでほとぼりが冷めるまで別の責任ある作戦参謀にしておく、という問題の根絶にならない情実人事などもあったやに書いてある。(『失敗の本質』by戸部良一氏ほか・・・これについては稿を改めて詳述する機会もあるだろう)

 一方で、下々の者に対しては徹底した減点主義である。
 失敗した者に対しては、失敗したこと自体を責め、それに携わった者の「抜け」を責め、そのついでに怒鳴り散らしながら原因追求をする。
 責任追及と原因追求と責めを同時にやるものだから、皆、怒鳴られまいとして、失敗などなかったように振舞うか、過度に問題が小さいように取り繕ってしまう。
 そんなだから、失敗が教訓として生かされない。

 ああ。
 なんというニッポンか。
 そんな我が国の「隠し事社会」に科学的にメスを入れたのが、畑村洋太郎氏である。

 たまたま昨日上司が「失敗学」というのがあるそうだ、という話をしているのを耳にしたため、家に帰ってから久しぶりに書棚から引っ張り出して読んでみた。
 10年前の本なので、多少日焼けの跡があった。
 あちこと線を引いたり書き込みがしてあって、へえっ、結構勉強したんだなあと我ながら感心してしまった。

 要は、失敗が組織の経験知となるようにPDCAを回せ、そのためには、まず「バカヤロー!!」と怒鳴り散らすのではなく、「なぜそういう失敗が発生したのか、当事者からよく話を聞く、傾聴する」ということが必要だ、処罰はその後で、規則に基づいて行う、というようなことである。
 文庫も出ているが、ハードカバーで読んでもいい本である。


 特に、最近の中小企業で失敗されるケースには、どんぶり勘定、利益度外視の売上至上主義的経営、というのが多いように思う。
 経営者は、誰も責める人がいないので、もしも計画どおりいかない事象が発生したらば、こういう本でも読んで、なぜ失敗したのか、冷静に、客観的に、データを分析するということもやりながら、考える必要があると思う。
 大体が直感が当っているのであろうと思うが、それを裏づけ、関係者(たとえば金融機関)にきちっと説明することも求められるし、正しい分析をすれば、正しい課題・正しい対策も、正しく設定できるはずだからである。それが大向こうをうならせ、金融機関からの融資もスムーズに引き出せる、ということにつながるからである。

 さて、この本を嚆矢として、世に失敗学ブームが巻き起こったが、畑村氏はその後も色々な事件を題材に著書を出しておられるようである。
 ニッポン社会も少しは冷静になって、失敗に対して大人の対応ができる(原因究明と、失敗の責任者を法に照らして処罰する、ということを切り分けて行う)ようになっていかねばならない。
 我々40代がそういう社会に作り変えていかなければ、いつまで経っても第二次世界大戦のときのx軍の失敗と同じことを繰り返すことになりかねない。
 小室直樹氏曰く、日本社会は構造的には第二次大戦当時となんら変わっていない。
 やんぬるかな。
 いや、なんとかせねば。

妻のものの見方

 カターレ富山というサッカーチームがある。
 今度J2に昇格した。
 前の会社の関係で会員になっていた。
 「今年も会費を払って応援よろしく」というクラブからの振込用紙が送られてきた。

 ホームでの試合の招待券なども何枚かもらえるのだが、昨年は一度も行ってない。
 そもそも試合を見に行く時間はないので、しょうがないのだが。
 さて、今年。
 家計も楽ではないので、つきあいで入っていた某デパートの会員や、某自動車安全協会の会員など、不要不急の経費はどんどん削減してきた。
 サッカーのファンクラブも、個人としてはそれほど熱く応援しているものではないので、継続する気もないが、念のため妻にどうしようか、と聞いてみた。

 妻曰く「やがて富山県の役に立ちたいと思っているなら、そういう地元の企業が応援していることには参加しておくべきじゃない?」
 確かに、10年後は富山県の参謀となって県をさらに盛り上げることに貢献したいと思っている。
 そういう観点からすると、そういう出費は愛する富山県への貢献として、必要なものだと捉えてもいいかも知れない。
 妻の言に納得し、今年も会員を継続することにした。
 頑張れ、カターレ!
(グラウジーズやサンダーバードにも頑張ってほしい。こちらは影ながらの応援になるが)

整理整頓は気持ちがいい

 机の周りがかなり乱雑になってきている。
 と思い始めたのが昨年暮れか今年の初めだったか・・・。
 私が今使っている机は、大阪時代に枚方のリサイクルショップで求めた座机である。
 パソコンのキーボード用のスライドも収納されている、結構いいものだ。

 キーボード用のトレイの他に、引き出しが二段ついている。
 昨年後半に、部屋の押入れの中を整理した。
 押入れには、電気関係の小道具やら、通信関係のケーブルや、事務用品、雑貨などがごちゃごちゃと半ば未整理のまま、収納ケースの中でじっとしていた。
 そのときに、長年手がつけられなかった文具類を整理し、特に筆記用具関係は引き出しの上の段に全部放り込んだ。
 おかげで何がどこにあるのやら。
 折角これはいいものだ、と買い込んだ、シャーペンの替え消しゴム(頭頂部の)や、ボールペンの替え芯、ペーパーナイフ、付箋紙、修正ペン、ハサミ、バインダークリップなどなどのちょっとした小物が他の雑多な筆記具の中に埋もれてしまって、肝心の使いたいというときになかなか出てこず、持っていることが却って時間のロスを生んでいた。

 しかし昭和ひと桁の親に育てられた我が世代の特徴か、使わないからと言って、私や子どもたちが買ったもの、そして、大阪と富山でそれぞれ置いていたために、二重になってしまっていたものなど、まあ色々あるが、そうやすやすと捨てられるものではない。
 もったいない。という頭が先に走る。
 そんなこんなで数ヶ月。
 先週整理しようと思っていたがバタバタしてできず、遂に昨夜妻の許可を得て、引き出し並びに机周りの整理を行った。
 筆記具類は、この数ヶ月で、日常的によく使うものとそうでないものの区別ができてきたので、普段使うことのないものは、まとめて再度押し入れの収納ケースに移動してもらった。日常的に家族と一緒に暮らしていると(最近、ようやくそういう実感が沸いてきた)、私の引き出しにあるもので彼らが必要なものもちゃんと用意できてくるものだ。

机周り

 畳1畳の私の書斎である。(本が占有しているスペースを考えると、妻に言わせると「部屋二つ分、あなたの本や資料で<占領>されているわよ」ということになるのかも知れないが)

 整理前、整理後の比較ができるような写真などはないが、ともかく、少し機能性が向上したように思う。ついでに書類関係も整理したので、だいぶんスッキリしたはずだ。
 後はこの3ヶ月ぐらいで買い込んだ100冊近い本をさっさと読了することだ。

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