中小企業診断士 中陳和人の                 「夢をかなえるブログ」~目指せあの頂へ~

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樹木の生命力

 ホンダが、島津製作所と協同で、人間の思考を読み取って体を動かす仕組みを開発した。
 受け手は、あのAsimoロボットである。
 右手、などと考えると、脳の微弱な電波を解析し、それをAsimoに伝えてAsimoが「受け取りました、右手ですね」などと喋って右手を動かすという流れである。
 今日のニュースで報じていた。
 いよいよ思考がものを動かす時代の幕開けだ。
 凄い時代となったものだ。

 ところで先日近くの学校に出かけた時に、街路に一本の伐採された木があった。
 胴の辺りでバッサリやられているのだが、その胴から二本の小枝が出ている。

樹木の生命力

 小枝を生やして、そこからまた復活している。
 すごい生命力だ。

 さて、今日発表された我が国の2月の有効求人倍率は0.59。
 100人の求職者に対して仕事が59しかない。
 しかし現実には、(わがままかも知れないが)就きたくない仕事や就こうにも条件を満たすことができずに就けない仕事もあるわけで、59が埋まるわけではない。
 私の皮膚感覚から言えば、本当の求人倍率(仮に「有用求人倍率」と呼ぶ)は、その半分の0.3ぐらいではなかろうか。
 と考えつつ、我が富山県内の有効求人倍率を調べると、全国平均よりさらに低い0.53である。
 しかも、分母となる求人数は、富山県内での求人とは限らず、富山県内のハローワークの管轄エリアの会社が募集した人数なので、もしかすると、勤務地は他県である可能性がある。とすると、本当の有効求人倍率はさらに低くなる。
 これはもう絶望的に仕事が見つからない状態である。
 いや、農業分野では担い手不足でもあり、人手を求めているところもあろうかと思うが、今まで経験のない人たちが、仕事がないからと言って農業に進むような簡単なわけにはいかないだろう。技術的にも、心理的にも。
 雇用調整助成金で、186万人の雇用が維持されているらしい。
 それがなかったら、今現在の失業者よりも186万人の失業者が街にあふれることになるという。
 大変なことだ。
 企業は、わが身を守るために人件費などの固定費を削らざるを得ない(ところが多い)。
 雇用調整助成金で、なんとかしのいでいる間に、さっさと仕事を創出しなければならない。
 古代エジプトの例に倣って「ピラミッド建設」のような大規模土木事業がいいかどうかわからないが、それができるのは政府であり、大型の未来につながる公共事業であるべきだろうと思う。

 明日から新年度だ。
 樹木の生命力にあやかって新たな年度を、力強く前進して行こう。
 不景気に負けてたまるか。

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早咲きの桜

 我が住まいの近くに、魚津高校と魚津市立東部中学校がある。
 それらは、車1台分ぐらいの細い道を隔てて隣り合っている。
 その道路には桜並木があり、毎年桜の季節になると美しい春爛漫の並木道を装ってくれる。
 その季節がとても嬉しい。
 うららかな春の日差しの下、桜並木をゆったりとしてペースで歩くのが好きだ。

 今年ももうすぐその季節がやってくる。
 沖縄では既に海開きだというこの時期に、北陸の富山では、そろそろ桜かな、と言っている。
 日本は広い。

 というわけで、普段の年ならたいてい入学式ぐらいが桜の開花時期であるが、今年は早いのかなんなのかわからないが、その桜並木の端っこの方に、二本だけ、早咲きの桜があるのを見つけ、写真を撮った。

高校前の早咲きの桜1

 二本は、色が違う。
 片方は薄い桜色、もう片方はピンク色だ。
 無粋な電柱やら電線やらがあってなかなかいい写真は取れないのだが、この角度で見ると、二本が寄り添う夫婦桜といった感じにも見える。
 なかなか乙なもんだ。

高校前の早咲きの桜2

 たった二本の早咲きの桜。
 二人だけでちょっと寂しいが、他の桜よりも先に満開を楽しんでいるようだ。

アメリカの住宅価格

 先日のネットニュースで、2月のアメリカの住宅販売件数が7ヶ月ぶりに増加(対前月比4.7%増)したということが報じられていた。(米商務省発表による)
 今回の景気悪化は、最終的にはアメリカの住宅価格が下げ止まらないと、本格的な景気の底にはならないと思っていた。
 それが、アメリカの消費者の購買動向、コマツなどが生産している中小型建設機械の受注量、自動車販売など、色々なものの下支えをしており、ひいては日本の輸出産業及びその関連産業全般にも影響していると考えられるからである。
 建設機械については、そろそろ中国向けが回復してきているようであるが、アメリカの経済回復に負うところはまだまだ多いだろうと思う。

 そんなところへの「住宅販売件数増加」のニュースである。
 私の言う「下げ止まり」ではないが、ニアリイコールと思ってもいいのではないか。
 そろそろじんわりと景気回復の下支えになる指標が見えてきたということであろう。
 もちろん、我が国の各企業は、資金繰り難などで倒れるところがまだ出てくるとは思うが、全体的には少しずつ良くなりつつあるのではないか。
(但し、この動きは財政出動などの支援措置のおかげかも知れないので、雇用対策や財政支援や金融緩和などの行政による対策はまだまだ必要ではあるが)

 ということで、かすかに光が見えてきたと感じたニュースであった。

中国四千年の秘術「吸玉」

 4月26日は、魚津しんきろうマラソンである。
 とりあえず初めての参加なので、5キロメートルという「マラソン」の名にはあまりふさわしくないコースを選ばせてもらった。(55歳までにはハーフを走れるように徐々に高めていきたい)

 昨年出場しようと思い立ち、一昨年の暮れからジムに通い始めたが、月に一回通ってグループエクソサイズをちょこっとやって息切れするのが関の山、しかも仕事も忙しく、とても休日がある状態ではなかったため、昨年は断念。
 今年も暇はわけではないが、ともかく滑り込みセーフで申込をした。
 というわけで、ジムで走る機会があるのは相変わらず一月に一回である。

 今日も一ヶ月ぶりに行って来た。
 少しまじめにやらねば、と思い、ランニングマシンの使用制限時間30分を目いっぱい使わせてもらった。

 中学生の頃に、部活で「2.5キロ」というトレーニングメニューがあった。
 学校の周り約2.5キロメートルを走るものである。
 虚弱体質・運動音痴の私にとっては過酷なメニューでありいつもビリだったし、大変だった。
 今日は走りながらそれを思い出した。
 2キロぐらいのところまでがきつかった。
 2.5キロを過ぎた。
 あ、意外に楽に走れるものだなと思った。
 あまり色んなことを考えずに、8.5というペースで一貫して走ったのが良かったのか。
 今までは、ペースを早くしたり、遅くしたり、自分のペースがわからないものだから、機材をあれこれいじってやっており、3キロメートルが最高だった。
 今日は、テクテク走るという感じでペースを守って走り続けたところ、制限時間の30分で、4キロメートルまで走りぬいた。
 時間の許しさえあれば、5キロは行けたのではないかという感触がつかめた。
 当日までの間にもう一回ぐらい練習に行けるだろう。

 さて今日の午後は、中国マッサージに行って来た。
 日頃の疲れを癒すのが目的だが、今日はジョギングの疲労回復の意味もあった。
 待合中に壁のメニューを見ていて、久しぶりに「吸玉」をやってもらいたいなと思った。
 時間を聞いたら、私の後はすぐには入っていないので、OKだということだった。

 「吸玉(すいたま、と呼ぶようだ)」は、握りこぶしぐらいの大きさのガラス玉(たこつぼのような形で一方のみ穴が空いている)を患部に吸い付けて、体の中の毒素を吸い出す施術である。
 中国四千年の秘術であろうか。
 うつ伏せに寝て、背中に油らしきものを塗り、その上を「吸玉」を滑らせつつ、悪いところを探し出す。
 探し出した悪いところに、十数個の「吸玉」を次々に付けて行く。
 火を使っているようなのだが、うつ伏せに寝ているため、どんな準備作業がなされているのかよくわからない。
 そういうよくわからないところも、いかにも中国四千年の秘術である(単に見えないだけだが)。

 吸い終ったら、その跡は直径5センチぐらいの丸い跡がつく。色は紫色である。
 病の度合いが強いほど、色は濃くなるようである。
 但し、自分には見えない。背中だから。
 そして、気孔がすっかり開いているので、湯船には入らない方がいいということである。風呂の中の微細なばい菌が開いた気孔から入る危険があるからだという。
 そういうところも中国四千年らしく面白い。

 今日は、首と背中が一番ひどかったらしい。
 特に首は、帰ってきて子どもに見てもらったら、見るもすさまじいことになっていたようだ。
 確かに、ここのところ神経を病むような仕事が多く、首も凝っていた。
 1、2日するとだいぶ楽になる。
 終わって外へ出たら、目もすっきり見えるようになっていた。
 いい施術だと思う。

 と満足感に浸っていたら、帰ってきた妻から「走って疲れて、お金かけてマッサージ受けるなんて、ばっかじゃないの」と笑われた。
 しかし、こういういいところは当分人には教えられないなあ。

ドラッカーの遺言

 魚津私立図書館で『ドラッカーの遺言』(講談社)という本を借りて読んでいる。

 中に「スーパー経営者は恥ずべき存在」という一節がある。
 お金持ちの代表とも言うべきJ.P.モルガンというモルガン財閥の創始者が「トップの人間が一般社員の20倍を超える給料を得るようであれば、それは誤った経営である」として、そういう会社にはモルガン氏は投資をしなかった、という話が紹介されている。
 スーパー経営者が得る高額な報酬ほど恥ずべきものはない、と断じている。
 最近のアメリカでのビッグスリーや金融機関の経営層の巨額ボーナス騒ぎを考えると、モルガンやドラッカーの警告が活かされていないと感じるとともに、巨大金融機関の祖であるモルガンがそういう発言をしていることが意外だった。

 ドラッカーはさらに、リーダーを待望してはいけない、リーダーの登場を恐れよ、カリスマは唾棄すべき存在だ、など、みんなもっと勉強して知識を蓄え、たゆまざる変化に対応していきなさい、そうすればリーダーなどに頼らず自分で判断できる、というようなことを書いておられる。

 また経営の本質とは「どんな長所を活かし、何をすることで、どれだけの成果を挙げるのか?」であると語っている。
 その他その他、まことに示唆に富む本である。
 世界一の見識だと思う。亡くなってしまったのは残念だが、この人の考えや提案からはまだまだ学ぶことは多い。

奇しき因縁~人の人生ってものは・・・~

 なぜだか、前の職場のある飲み会に誘われ、恥ずかしげもなく出かけて行った。
 個人的には時々飲んだりしているのだが、今日の飲み会はその担当チームのかなり公式的な「打ち上げ」であり、私などが本来顔を出すべき会ではないので、2次会から参加させていただいた。
 実際には、1次会も2次会もなく、同じ場所でずっとやっておられたので、1次会に参加したのとなんら変わりはなかったのだが。

 さてその席に、営業部長がおられた。
 私とは人事異動の入れ違いとなった方なので、引継ぎにお越しになった時に一度お目にかかったぐらいで、どんな方か全く知らない間柄だったのだが、その部長氏、なんと、私の大阪での出向時代の同僚のKさんと同期だということで、部長氏がこちらに異動される時に、K氏から「富山に○○(私)がいるからヨロシク」なんてメールをもらっていたらしい。
 いやあ、世間って狭いものだ。
 と思う。

 そのK氏。同志社大学の落研出身で、先輩には、「トリック」や「サラリーマンNEO」その他、舞台、テレビなどで大活躍中の生瀬勝久氏がいるんですよ、というような思い出話をした。
 会が終わってからK氏に電話したのは自然の流れだった。
 大阪の兎ヶ野にいるらしい。
 元気そうで何よりだった。

 そんな感じで、本来私などが参加すべきではない会に、当たり前そうな顔をして出させていただき、9ヶ月前まで一緒に仕事をしていた人たちとごく当たり前そうに話をさせていただく・・・。
 もっとも、私自身、その会社のOB会には入ったので、今後その職場仲間も、やがてOBになられた際は、そのOB会でお互い顔を合わせて昔話などするのだろうけど、まだお互い社会の現役でありながら、ある者は会社を去り、他の人たちはその会社に残って一生懸命に頑張って日本の電気通信基盤を支えている、というように道が分かれていってしまっている。
 でも、距離的にはすぐ近くで、それぞれの仕事をしている。
 でも、まったく別の人生、別の社会人になっている。
 たまに会えば、それはそれで会話になっている。

 人間の人生って珍妙なものだなあとつくづく思った。
 そして、感謝、である。
 ありがとうございます。

社会に出てからの力

 友人とメールをしながら思ったこと。

 人間が社会で生きていく力、社会に出てから役に立つ力の源泉というものは、学力や知識の量や体力などがベースであることは言うまでもないことだが、それらは数年も経てば陳腐化してしまい、それらを持っていること自体はすぐに役に立たなくなってしまう。

 社会に出てから本当に効くのは、「不断の努力」と「人間性」と「執着心」ではなかろうか。
 そしてそれらの要素の根底にあるものは、「前向きな気持ち」「明るさ」「いい意味での欲望」。
 そういうものを持ち続けている人は、社会に出てからも進化しているような気がする。

 もちろん、基礎知識がベースとして必要なのは言うまでもないが。
 ま、そういう目で自分の子どもたちについても、もう一度見つめ直してみたいと思う。
 人間、生きる力が最も大事だから。


ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」

 昨年暮にNHKテレビで「名曲探偵アマデウス」とかいう番組をやっていた。
 てっきりモーツァルトを探偵に仕立てて何か中世ヨーロッパの事件を絡めるようなドラマかと思って、一回だけだったが録画しておいた。
 モーツァルトではなく、筧利夫氏が「天出臼夫」(アマデウス オ)という名の探偵役であった。

 ま、それはいいのだが、その回はドヴォルザークの偉大なるシンフォニー「新世界より」であった。
 高校2年の時だったか、FMラジオで偶然聞いたのが最初だった。
 カール・ベームというドイツ人が指揮するウィーン・フィルの演奏だったように思う。
 ベームという人は、モーツァルトを振らせたら当代随一と言われていた人だった。
 その時の演奏はモーツァルトではなく、ドヴォルザークであったわけだが、そんなことを知らない私にとっては、それが初めて大感動したクラシックであり、交響曲というものはすごいものだなあと思ったものだ。

 就職してからバロックなども聞いたが、ダイナミック、人の魂を震わすという点で「新世界より」以上にすさまじい曲は聴いたことがない。
 久しぶりに、録画したそのテレビで第4楽章を全部聞いたが、相変わらず大きな曲であった。
 感涙。

我が家の「春」

 春分の日を迎え、我が家では、4月からの子どもたちの進む道がようやく決まった。

 上の子は、富山市にある私立大学で、教員養成の学部に進む。新設学部だ。学力のレベルははっきり言って大変低いが、新しく作られた学部であり、学校としても力を入れて行くだろう。しかし何よりも本人がこれから真剣に自分のなりたい職業に向かって現実的な努力をすることが必要だ。親があれこれ心配して与えるのではなく、自ら必要なものを先取りして獲得していくようになってもらわなければならない。

 下の子も、富山市にある私立高校。県立の普通科に入る力がないと判定され、かといって職業科には行きたくないということで、県立の願書を出す少し前に意思決定(県立は受験しないと)した。蓋を開けると、定員に満たない県立普通科もあったため、ありゃあと思ったが、それはやむを得ない。大学に行きたい、と今頃言っているありさまではあるが、進学に関して熱心な学校だし、塾も続けて自分の不足点を補って行きたいと言っているので、塾の先生にも個別のプログラムをお願いしたところであり、親としてできる限りのバックアップをしていきたい。


 ピリピリしていた1年間が過ぎたわけだが、ピリピリしていたのは私と妻と双方の両親。
 子どもたちはどこ吹く風、であったように思う。
 親の立場からすれば満足の行く結果にはならなかったし、子どもたちも志望校を落とし続けなければならなかったので精神的にはしんどかっただろう。また、これからの彼らの人生を考えたらまだまだ不安で一杯だが、過ぎ去った時間はどうにもならない。
 前を向いて生きていくしかない。

 二人とも十代。
 一人立ちをした後に、どんな人生が待ち受けているかわからない。
 幸い、荒波にもまれていく手前の、まだモラトリアムの時間だ。
 少しでも荒波の手前で、波への対応力を持たせたい。
 そのために、本物の学力、生きる力をつけてもらいたいと思っているが、マンガとゲームではそれは覚束ない。
 そういうことに、上から押し付けずに気づかせることが、5年間仕事にかまけて子育てから逃げてきた私の責務ではないかと思う。

 しかし、すっかり自我も確立しているようなこの子らにどうやって気づかせたら良いものか。
 口やかましく言えば言うほど、心は遠のいてしまう。
 かと言って何も言わなければなかなか伝わらない。(背中で教える、というのはやってきたつもりだが効果があったとは思えず、そのため結局口やかましくなってしまった・・・)
 彼らと接触する時間を少しでも持ち、お互いに色々と話をしていくこととに尽きるのではないか。
 やれるだけやろうと思う。
 前を向いて進もう。

春の芽生え

半村良さんの講演

 語り部(かたりべ)という仕事がかつて我が国にはあったらしい。
 昔から伝わる説話や神話を語り伝えることをなりわいとしている人々のことであるらしい。

 さて今から30年ほど前、高校生のときに、この魚津という田舎町に流行作家の半村良さんがやってきた。
 文芸春秋主催の「文化講演会」というようなものではなかったか。
 講演者は、半村良さんのほかにもう一人いたが、覚えていない。

 話はすっかり忘れてしまったが、1時間ぐらいの講演で、ご自身のある体験談だったように思う。
 聞くほどにどんどん引き込まれて行き、話しておられる内容が目に浮かぶような感じだった。
 ところが、最後に、これらは全部夢の中の出来事だった、というオチで、一気に現実に引き戻されるような、目の覚めるような話の展開だったような気がする。
 その急転直下の展開があまりに鮮やかだったので、しばらくはぼうっとしていた。

 半村良さんが、冒頭に書いた「語り部(かたりべ)」にかこつけて、「嘘部(うそべ)」というようなキャッチフレーズで文壇におられ、その小説は語り部が語るが如く、虚構なのに現実世界を細部までこと細かく反映して嘘を構築する、ということはその時点では知っていたが、まさかご自身の講演でもそれ(虚構を巧妙にホントのようにつむぎだすこと)をされるとは、いやあ一本取られたなあという感じであった。

 それ以来半村良さんの小説にのめりこみ、『産霊山秘録』や『石の血脈』『魔女伝説』などの伝説シリーズなど、いわゆる伝奇ものを読み漁った時期があった。
 今日ラジオで「語り部」という言葉を耳にし、ふと、昔のそんなことを思い出した。
 半村作品はまだまだ読んでいない人情ものやSF作品なども沢山あるので、これからも読んでいきたいものだ。(時間があれば)

ユニクロ社長 柳井宏氏の言葉から

 何週間か前の週間ナントカに、ユニクロ社長の柳井宏氏のインタビューが載っていた。
 そこからのエキスの抜粋。

・夢、使命感・・・みんなに訴え協力者を募る
・リスクを量った上でチャレンジする(私は冒険経営者ではない)・・・失敗したら分析する
・変化に合わせて全社を変える決断をする
・変化については、前もって何をどう変えようかを考えておき、運が来たら予定していた行動を起こす(決断をする)・・・女神には前髪しかない

 以上、今日は備忘として。

ゴルゴ13の生い立ちについて

 マンガの主人公の生い立ちについて気にする必要などないのだが、たまたまラーメン屋に置いてあった昔の「ゴルゴ13」を見ていたら、生い立ちについて描かれたものがあり、珍しい話題なので、発見の喜びを表現したくて、書く。

 どうやら東郷平八郎の妾腹の娘が祖母に当るらしい。
 その娘が結婚相手とともに中国に行っていたときに、ロシア人のラスコリニコフ(コードネーム)というテロリストに襲われ、できた子が東郷宗介という人物だが、表向きは結婚相手との間の子だとしていたらしい。そのため、東郷宗介は純粋な日本人だと名乗っていた。彼は軍人になった。
 その後、優秀な東洋人を作るためという当時の日本軍の作戦で、優秀な軍人だった東郷宗介は選抜され、チンギスハンの血を引く中国人女性ツベルマとめあわせられ、できた子どもが東郷狂介という子である。
 1941年頃の話らしい。
 3歳の時に狂介は風邪か何かで床に臥せっている母ツベルマを、父宗介が薬か医者を探しに出かけている間に、銃で殺してしまう。
 これが狂介の最初の殺人行為である。
 なんと3歳で、銃殺である。

 父の宗介は怒り、殺人者ラスコリニコフの血がそうさせたと思い、その小屋に3歳の狂介を残してどこかへ去ってしまう。
 その後狂介は毛沢東に拾われ、殺人マシンとしての英才教育を受けるが、1年か2年で自分でその場を去ってしまう。

 これが後のゴルゴ13=デューク東郷だ、というような話である。
 本当かどうかはわからない。なぜならゴルゴ13自身がこの話に出てきて接触を試みた人たち全員を殺してしまうからである。
 ただ、この話が本当だとすると、ゴルゴ13の本名は「東郷狂介」で、1941年頃に生まれており、今は生きていたら67歳ぐらいだということだ。

 相変わらず30代後半から40歳ぐらいで活躍しているのが少し不思議な感じがするが、サザエさん一家も年をとらないし、マンガの話だし、ま、どうでもいいか。

 ちなみに、時々出かけては「ゴルゴ13」を見るラーメン屋は魚津市の「はじめ家」という家系のラーメン屋さんである。おいしいよ。

富山で受けることのできる知的刺激の会

 毎月恒例の異業種交流&勉強会「とやまキトキトBIZねっと」。
 今日はその14回目の例会。
 講師は我らが運営委員のメンバーの一人、越澤さんである。
 音楽業界に長くいた経験を活かし、3年前に「富山のレコード会社」というコンセプトを引っさげて起業された。
 前歴の苦労話や、起業の心構えなど、色々示唆に富む話を聞かせていただいた。
(本当は、そんなさらっとしたノリではなく、大変なご苦労をしてこられているのだが、ここではとてもそんなことまでは書ききれないし、文字にした瞬間に軽いものになってしまう恐れがあるので、深い話は書きません。)

 さて二次会。
 富山県唯一のプロコーチのNさんという方と親しく話をさせていただいた。
 Nさんから教わった、あるプロコンの仕事の仕方。
 名前を残念ながら失念したが、そのプロの方は、相手にコンサルしながら、その内容をメモするんだという。
 それも尋常のメモではなく、自分の語った言葉、相手の反応した言葉、それらを全て書きながら喋る、喋りながら書き記すらしい。
 その理由は、相手の言葉だけを書いていたのでは、自分の何に反応して相手がそれを喋ったかわからないと、後でわからなくなるかららしい。
 これはノウハウとして、大変レベルが高く、でも素晴らしいことだと思う。
 しかし問題は、喋りながら書き取れるか、ということだ。
 その方は、齢70歳ぐらいの人らしい。
 一回やめると、次はできなくなるから、ずっとそのやり方を続けているのだそうだ。
 ということは、最初からできたわけではなさそうだ。
 恐らく、徐々に、やっているうちに早く、的確に、かつ喋りながら、という技能を磨いていったのだろう。
 これはいい。
 単純に真似できるものではないと思うが、是非私もお客様とのコミュニケーションの場で取り入れてみよう、チャレンジしてみようと思う。(字のへたくそなのをどうしようか・・・という悩みはあるが、やってみなければ始まらん)

 ということで、今夜も知的好奇心を高ぶらせてくれたひと時であった。
 とやまキトキトBIZねっと
 ↑HPはこちら

今日も強風のためダイヤ大幅乱れ

今、JRの魚津駅にいる。
昨日に引き続き、今日も強風のためにダイヤが乱れている。
上り下りとも、20~30分程度の遅れだ。
JRさん、一体どうなっちゃったんだろう。
ホームで待っているのだが、冬に逆戻りの天気のため、体の芯まで寒い。
しっかりしてくれ、我らが日本の元国策会社よ。

とはいえ、景気に薄日が射して来ているのかな

 昨日、時ならぬ大風が吹いたために、富山駅に隣接してあるコンビニで、珍しく「ニューズウィーク日本版」を買った。
 ある記事に「景気は回復の兆しを見せ始めている」というようなことが書いてあった。
 その証拠として、アメリカの中古住宅が売れ始めてきている、ということが紹介されていた。
 よく調べたら、1月27日ぐらいに「12月のアメリカの中古住宅の販売戸数が前月比6.5%増と、以外に売れていた、というニュースなどもあった。

 数日前にある製造業の経営者から聞いた話の中にも「アメリカの中古住宅が売れ始めているらしい」というのがあり、どうもそうらしいなという感じがしている。

 しかし一方、今日の日経新聞には、工場の統廃合やら雇用の悪化やらというマイナス面の記事が相変わらず沢山あり、まだまだ回復というレベルではないのだろう。
 が、徐々に、今の在庫調整の間、公的補助やなんやでしのげば、間違いなく生産回復、雇用回復、消費回復にはなるわけで、それまでどれだけみんなそれぞれ踏ん張るかだと思う。
 但し、昨年の夏までと同じレベルまで回復することは考えにくいし、どの企業も少人数で耐えられる仕事の仕方にしていこうとしているようなので、今までの産業分野での雇用は見込めないだろう。
 とするならば、今仕事から離れている人は、これから政府が投資したり自治体が予算をつけようとする産業分野での仕事に向け、自己のスキルアップなりスキル転換をすべきかも知れない。

 不況の荒波に呑み込まれるな。自分の道を進め。

図書館大賑わい

 不景気で財布のひもが固いせいか、図書館が大賑わいだ。
 私の地元の魚津市立図書館。
 今日午前10時頃に行ったら、なんと駐車場に車が止めきれず、あふれかえっている。
 普段の土日も駐車場は割りと混んでいて、数台しか余裕はないのだが、今日はそれにも増して沢山の車が来ていた。
 あきらめて帰る(出直してくるのだろう)車も何台もいた。
 スーパーマーケットやドライブスルーではないので、少し待っていれば空くという性質の場所でもないのでしょうがないのだろうなあ。
 
 館内に入ってまたびっくり。
 人の数も普段の土日の倍以上はいたろうか。
 老若男女、特にどの層に偏っているというわけではなさそうだ。
 不景気の影響で出費を差し控えて、勉強しようという人が増えているのだろうか。
 だとしたら、それはそれで良いことだと思う。
 さて他の図書館はどんな状況だろうか。
 また、古本屋はどうだろうか。ブックオフにも顔を出そうかと思ったが、今日は時間の関係で断念した。次の機会に覗いてみたい。

久しぶりにテレビの話「キイナ」

 日テレ系で「キイナ~不可能犯罪捜査官~」というのをやっている。
 菅野美穂という人が主役を演じている。
 解けない謎はないって感じのドラマだ。
 「羊たちの沈黙」のような心理分析官ものかと思っていた。
 まったくそのとおりでもないが、そう遠いわけでもない。
 科学的でもあり、非科学的でもあり、分析的でもあり、直感的でもある。

 面白いのは、主役の菅野さんが色々調べものをするときに、フォトリーディングのようなやり方でたったかたったかと本を読んでいる点である。
 これからはこういう時代なのかなあ(つまり、フォトリーディング的な技能を身につけていくことが大事だと、放送局がプロパガンダしていく時代になってきたのかな?)と思ってしまう。

 それともう一つ、NHKの「サラリーマンNEO」でセクスィー部長をやっていた沢村一樹とその先代らしき、今や取締役になっているセクスィー常務の草刈正雄がやはり上司・部下の間柄で出ている点である。
 面白い配役だなあと思って見ている。
 ドラマ作りのタッチは、なんとなく「トリック」に似ている。スタッフに「トリック」の制作者がいてたりして・・・。
 ただ、ほとんど見る時間がなく、これまで2回しか見ていない。
 やっぱり面白いなと、今週の録画を見て、ちょっとこれからはちゃんと録画して見ようかいなあと思っていたら、来週が最終回らしい。(あまり視聴率は高くなかったのかな?)

すごい風

 すごい強風だった。
 朝から吹き荒れていた。
 私は市電で出勤した。
 一日吹き荒れていた。
 帰りはJRが運休していた。
 そのため、急遽富山地方鉄道に切り替えて帰ってきた。
 750円だったが、帰って来れないことを考えると安いものだ。
 電車は満員だったが、富山県民は皆、笑顔で電車に乗っていた。
 JRの富山駅の改札で待っていた人たちはどうなったろうか。

 それにしてもJRの発表はおかしい。
 なんでも、小杉と富山間、青海と糸魚川間で運転見合わせ、という告知だったので、富山から黒部や入善までは大丈夫だ、と思ってしまう。
 しかし実際には、上記区間の影響で、全く運転していないというのが現実で、インターネットでの運行情報を信じて駅に集まった人たちは、皆一様にだまされた、という印象を持ったのではないか。
 まあ、私は幸いJRと地鉄の両方が乗り入れている魚津というところが住まいなので、代替手段で帰ってこられたから良かったが。

 JRはすっかり風に弱い鉄道になってしまった。
 民営化のマイナス点かも。

やや睡眠不足の日々

 最近睡眠不足で仕事に臨むことがままある。
 先週の金曜日に続き、今日も4時間睡眠であった。
 しかし気を張っているせいか、わりともっている。
 先週のときは、企業のお客様に対する経営相談の日であり、一日で5社対応した。
 初っ端のお客様は某市で小売店を営んでいる会社の専務さんだった。
 お父上が現役の社長だが、ワンマンで部下のモチベーションが随分下がっている。加えて経験と勘で結構伸びてきたのだが、環境変化が計数的につかめておらず、在庫がどんどん増えているため、収益が圧迫されている、という問題を抱えておられた。
 多少なりとも助言させていただいたが、このお客様はしばらく色んな面でサポートさせていただきたいと思っている。
 そんなこんなで計5社。

 今日は1ヶ月前からの課題をやり終えたい一心で、夕べ遅くまで頑張ったもの。
 お客様対応の心地よい緊張感がなかったせいか、今日は少し眠い。
 まだ少し明日の準備があるが、適度にこなして、今日は今日中に寝よう。

 上の子が、国立最後の試験に関西方面へ出向いた。
 明日が試験。
 倍率も10倍ぐらいと厳しいが、ともかく精一杯頑張って欲しい。

コルトレーンとノルウェーの森

 今となっては大昔のこと。

 社会人になって二年目くらいだったろうか。
 友人が村上春樹の『ノルウェーの森』が面白かったと言って、上下ともに貸してくれた。
 それまで村上春樹は全く読んだことがなく、軽チャー本だろうと、読みもしないで軽視していたものだが、他ならねM氏のお薦めだったので、ともかく読んだ。

 それはそれは深いもので、一気にのめり込み、最後は涙をぼろぼろ流しながら読んだものだ。それまでの自分の色々な経験や思い出と重ね合わせられる部分も多く、共感しながら読んだ。
 その、本のいよいよ最後のあたりで、たまたまレンタルしたレコードを聞きながら、読んだ。
 それは、ジョン・コルトレーンのセルフレスネスというLPで、本のエンディングあたりの時に、そのLPの中の「マイ・フェバリット・シングス」という曲が流れていた。
 村上春樹の『ノルウェーの森』のエンディングとジョン・コルトレーンの『セルフレスネス』の中の「マイ・フェバリット・シングス」のコラボレーション。
 これはキョーレツだった。魂を揺さぶる激しい体験だった。

 今日、帰りの電車で、久しぶりにマイ・フェバリット・シングスを聴いた。当時のことが鮮烈に蘇ってきた。やもたてもたまらず、この記事を書いている。

 さて、それから数年経って、中学校時代の親友に会った。十年ぶりの再会だった。ひょんなことから、ジャズの話になった。
 なんと、彼の一番のお気に入りが、私と同じ、ジョン・コルトレーンのマイ・フェバリット・シングスだった。しかも、セルフレスネスの中のそれが一番いいと言う。
 う~ん、底流でなにがしかの気持ちのつながりっちゅうもんでもあるなかなあ、と思った次第である。

 最近は少しご無沙汰しているが、ノルウェーの森以来、村上春樹も片っ端から読みまくった。
 このほど、イスラエルで何かの賞を受けられたらしい。喜ばしい限りである。

 あ、そういえば、今日は私の47歳の誕生日だった。
 忘れてた・・・。

もう愚痴るまい、もう怒るまい

 子どもたちに対しては、顔を合わせれば怒っているような気がする。
 彼らもむすっとした顔をして返事したり聞こえないくらいにぼそっとしか返事しないことしばしばなので、つい、怒ってしまう。
 最初は軽い注意から入るのだが、次第にエスカレートして、自分の中で怒りを増幅させて、最後は怒鳴りつけるまでになっていることもしばしばだ。

 こんな親になる予定ではなかったのだが。
 こんなコミュニケーションのとり方を子どもたちとするはずではなかったのだが。
 どこでボタンの掛け違いをしたのか。

 妻とは、もう怒らないでおこう、かけがいのない、世界で彼らしかいない我が子どもたちなのだから、健康で、素直で、何か頼みごとをしてもちゃんと聞いてくれる子どもたちなのだから、と何度も約束するのだが、いつも一日も経たないうちにもう怒っている。
 しかもそんなことを恥ずかしげもなくブログに書く神経とは一体・・・?と自分の精神状態をすら疑ってしまう。
 一体誰に向かってこんなことを書いているのか。
 人に対して読んでもらおうと思って書いているのではない。
 自分自身に対する慙愧の念で書いている。
 もう怒るまい。
 もう愚痴るまい。
 明日からは、しつこくなじるのはやめよう。
 明日からは、怒鳴り散らすのはやめよう。

最近のこと

 数日前、前の会社の総務部長に道でばったり出会った。(私が転職してから着任された部長なので、仕事を一緒にした経緯はない人である。)
 部長氏曰く「あなたの、会社時代のブログがまだ残っていて読ませてもらっている。熱い思いを感じるよ。」
 こちらは赤面しきりである。
 当時は毎日、辞世のつもりで毎日のように熱い思いを書き綴っていた。(そうとはわからないように、おちゃらけや笑いを誘うようなものも随時織り込んでいたのだが)
 いまだに残っているとは恥ずかしい限りだ。
 しかし、日本の通信を支える事業に対するノブレスオブリッジは今も変わらぬ思いがあり、頑張ってほしいと思っている。

 そんなこんなの矢先、今日、その会社の総務課長から電話があった。
 近くにいるから会おう、ということだった。
 出かけて、喫茶店で最近のよしなしごとを語り合った。
 なかなか大変そうだ。
 会社がなまじでかいものだから、威令が行き渡らない。
 私が今いるところは数百人規模なので、一応曲がりなりにも、指示されれば、それが伝わり、表向きあちらを向く人はまあいない。
 しかし、従業員数数万人という大会社の場合、しかも会社が社会主義国のように計画経済である場合、自分が手を抜いても構わない、計画があれば誰かがちゃんとやって、最後はうまくいこうがいくまいが、うまく行ったというふうに形が整えられる、というふうに思う無責任人間が発生したり、あっちを向く人間が何人もいても、オレだけじゃないも~ん、とか、オレ一人あっち向いていても大勢に影響ないじゃん、という連中がいたりする。それでも回るのが大会社の強みであり弱みである。
 大変だ。

 最近読んでいる本は、青木新門さんの『納棺夫日記』(文春文庫)である。
 ご存知「おくりびと」の原作だ。



 著者も富山県人なら、映画監督も富山県人という、我々にしてみれば、大変誇らしいことである。
 文章の底流に流れるしんどい経験と深い人間愛は、南木佳士さんの『阿弥陀堂だより』(こちらも文春文庫)に通じるものがあるような気がしている。
 映画を観に行く時間はちょっとしばらく取れそうにないので、まずは本をしっかり読んで、もっくんの映画は楽しみに取っておこう。

 子どもたちとは毎日バトルである。何度言ってもわからない。言い方が悪いのか。
 進める学校がない。(上の子は水戸にある大学の試験に落第し、次が最後のチャンス)
 にも関わらず、真剣になってやり直そうという態度が見えない。
 ちょっと甘やかし過ぎたかなと反省しきり。
 しかし誰が悪いのでもない。育てたのは自分だ。
 5年前、単身生活になって、思春期の子どもたちと別れ別れの生活を選択したのは自分だ。
 親のため、そして地元に根付かせることを期待して、子どもたちを妻とともに富山へ帰した。
 それが悪かったのか、と振り返ってみたりしている。
 ちゃんとした人間として世に出せないとしたら、それは親である私の責任だ。
 根本は良い子だと思っている。
 そして、最後は自立してもらわなければならない。
 親が面倒見られるのは、せいぜい22歳まで。
 大学に行く力のない子ならば、18歳で終わりだ。
 そのことを少しずつ、ようやく感じ始めているようではあるが、腹に落ちているかどうか・・・。
 教えるのが遅かったか。
 日々悩み、激怒し、反省している毎日である。
 でも、昨日はもう取り戻せない。今日は二度と帰って来ない。
 コントロールできるのは、今と明日だけだ。
 昨日までの反省を踏まえ、今と明日を生きて行こう、ということを子どもたちにも伝えよう。

久しぶりの経営相談会

 今日は久しぶりに経営相談会をやらせていただいた。
 一日で5社。
 内容はもちろん書けないが、色々な経営者の方々とお会いできて、楽しい。

 私などのような者の経験やアイディアでも、少しは話を聞いていただけるので、ありがたいことだ。
 しかも金融機関の者の立場で喋るので、お客様の財務に関しても多少は言及させていただくし、最後はお客様企業の財務をよりよくするための、という但し書きでのディスカッションなので、どんなアイディアも、自社の経営数字の改善につながるかどうか、という点経営者の最大の関心事であり、そういう観点で耳を傾けてくれるので、喋っている方としても相手が私の話をどう判定しているのかということが、相手の表情を見ているとてきめんにわかるので良い。
 これまでのわずかなマネジメント経験も活用できるし、何よりも診断士としての自分のパワーアップにつながるし、情報収集もできるので一石数丁である。

 さて、この日曜で銀行業務検定の試験も、結果はともかく、終わったので、これからはもう少し本も読めるかなと期待している。
 とにかく机の横の床と、部屋の壁際に100冊近い本が積んであり、妻からは「読まないんならさっさと処分すれば!」ってしきりに言われている。
 今度の週末ぐらい、少しまとめ読みしたいところだ。(仕事さえなければ・・・)

銀行業務検定「財務3級」の受験

 中小企業診断士という資格を持っていると、社内では財務に関する専門家なのだろうと思われている。
 が、さにあらず。(オレは情報系診断士だ!と叫んでも金融機関では理解してもらえない)
 40点未満にならないようにという一点に絞って「財務管理」は学習したので、ホンマにわからん。
 その分、「経営基本管理」や「情報系の科目」や数字の少ない「労務管理」などで点数を稼いで平均60点をカバーしたことで、一次試験には合格したのだ。

 金融機関に転職したはいいが、それがアダになって、今苦労している。
 コンサルタントが聞いてあきれる、って感じだ。
 ということで、職場の先輩に徐々に教えてもらったりしてきたが、仕事をしながらなので、極めて断片的な学習にしかならない。

 そこで、銀行検定の「財務3級」というのを学習し、自分を追い込むために試験も受けることにした。
 試験は今日であった。
 事実上、2日ほどしか勉強していない。
 例によってフォトリーディングで学習したが、今回は定着を図る前に、中途半端な状態で当日を迎えてしまった。

 自信は、今回こそ、ない。
 疲れた。
 まあ、学習そのものが目的であり、受験は自分を勉強せざるをえない状況に追い込むためにやったことなので、落第しても構いはしないが、これを励みにまたきっちり体系的に勉強しようと思う。
 並行して、次は「税務」、その次は「法務」のそれぞれ3級をまたおいおい勉強していこう。

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