中小企業診断士 中陳和人の                 「夢をかなえるブログ」~目指せあの頂へ~

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もしかして新型インフルエンザでしょうか

 会社での仕事中、急に暑くなってきた。
 クールビズで腕まくりをしてもまだ暑い。
 回りを見ても別に変わった様子はない。

 そのうち、頭痛がしてきた。
 たまらなく倦怠感も出てきた。
 首の後ろが痛い。
 体の節もだるい感じがしてきた。
 体がぽっぽと熱くなってきた。
 じんわりと汗が出てくる。

 やばいと思い、しばらくの間、マスクをして仕事をした。
 やがて同僚から「熱、測った方がいいんじゃ?」と声をかけられ、体温を測った。
 その頃には少し熱さが薄らいでいた。
 36度5分。
 平熱よりも少し高いくらいだ。

 38度あれば、会社の人事担当に連絡しなくてはならないらしいので、問題ある水準ではなさそうだ。
 ということで、一応定時過ぎまで仕事をし、しかしいつもよりはかなり早めに帰宅した。
 幸い咳は出ていない。
 
 思えば一昨日、中小企業診断士の理論政策更新研修というのを受講した時、会場内で結構何人もの人がクシャンクシャン、とか、ゴホンゴホンとかやっていた。
 あれが新型インフルエンザだとすると、あの会場にいた百数十人の診断士は、全員感染した可能性がある。
 後は発症するかどうか、また発症の程度がどうなるか、だ。 

 あまり考えたくはないが、かかっちゃったかも知れない。

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京都奈良大右回りその8(志賀直哉旧宅から正倉院、東大寺)

 前回の記述から2週間も空いてしまった。
 間が空いたが、これにて今回の旅行記の最終回である。

 8月5日(水)。
 新薬師寺の次は歩いて数分。
 志賀直哉の旧宅。
 数年前に訪れたときから比べるとまた幾分整備が行き届いていた。
 戦後、GHQに接収され、面白くもおかしくもない白壁に塗ったくられたらしいが、それらをほとんど修復してあった。

志賀直哉旧宅外観

 それから春日山のささやきの小経と言われる中を通って東大寺。
 これまで入ったことのない三月堂(法華堂)。
 不空羂索観音が素晴らしい。
 たまたま女学生らが調べ物をしていて、堂守の方になにやら色々尋ねていた。
 それに対して丁寧に教えている声が、我々他の来訪者にも聞こえ、頭の上のおびただしい数の宝石類やら手の中の水晶玉やらのことがわかり、またありがたさが増したような気がする。

 境内を通ってやがて正倉院へ。
 途中、二月堂下の「裏道」を通り過ぎたあたりにふと見ると田んぼがあった。
 お寺で食する米を作っているのだろう。
 昔からの営みであろうとありがたくなった。
東大寺の田

 正倉院は外観しか見られず、少々残念。
 中に入れるはずもないか。
 と言っても大変大きな建築物であることにかなり驚いた。

正倉院外観

 その後は慌しかった。
 大仏殿の横を通り、大仏殿前の池を寸刻眺め、大通りを渡って奈良公園へ行き、興福寺の五重塔前で鹿さんの写真を撮り、南円堂を横目で見ながら猿沢池をふと見やって、奈良まちへ。
奈良興福寺の鹿

 奈良まちでは遅い昼食をとってから土産物をあれこれ買って、JRの奈良駅から大和路快速に。
 時間があれば、私の心のふるさとである「法隆寺」に寄るべく選んだ路線であった。
 少し時間はあった。
 しかし、妻の疲れもあろうと思い、途中下車はせずにそのまま大阪へ。
 大阪駅でまた少しあちこち歩いて買い物をした。
 午後5時40分過ぎのサンダーバードで魚津へ。
 帰路はお陰様で順調に、ちゃんと午後9時15分頃到着。


 今回の旅行は、結局、京都⇒北西の竜安寺⇒東部のあちこちと清水寺界隈⇒南下して奈良ホテル⇒奈良中心部の新薬師寺や東大寺界隈⇒西へ向かい、法隆寺の辺りを通り過ぎ⇒北東の大阪へ、という具合で、ぐるっと北西から東へ回り南へ行ってもう一回西へ移動し北上、と関西をぐるっと右回りしたような感じになった。

 わりとのんびり過ごした二日間ではあったが、二日目はちょっと歩く量が多く、妻には負担をかけたと思う。
 それでも京都・奈良を久しぶりにたっぷり味わった二日間であった。
 また行きたい、と思うが、やはりしっかりゆっくり1週間とか2週間といったような時間で行って来たいものだ。
 一日二日でおもてづらだけ見てきていいところではないと思う。
 メジャーではないが古代の文物などを収めた美術館があったり、夜はジャズバーなんかでもいいところが色々あるようだし。京都も奈良もまだまだ魅力が一杯だ。
 大阪勤務の7年半の間は主な寺社を経巡るのが精一杯で、そういうところまでは行けなかった。
 一日二日の旅行でも、そういうスポットまではなかなか足を運べない。
 いずれしばらく奈良に住むなどして、ゆっくりと回るのが私の夢である。

 夢を、叶えよう、一つずつ。

フォトリーディングについてのコメント

 やり方は習得したが、一気にフォトリーダーと呼ばれるようなレベルにはなかなか行かないものだなあと思っている。
 毎日練習できるわけでもない。
 なぜなら、フォトリーディングは単なる速読ではなく、関連する前後の技術と組み合わせた、総合的な情報処理技術だからである。
 前後の技術と合わせてやることでしっかりした効果が得られるのだと思うので、単に机に向かって本をペラペラめくればいいというものではない。
 ということで、勢い、多少なりともまとまった落ち着いた時間がないと、なかなか取り組めないというちょっと言い訳めいたことになる。

 今日は、朝から家の外回りの片付けやら枝の伐採やら買い物やら仕事やら自分の机の周辺の整理整頓で相当時間を食ってしまったので、夜、少し時間をとって一冊ぐらいはちゃんとやろうと思う。



易経の言葉から

 昨日、会社内の同じ大学出身者の集まりがあった。
 そこで、つい先ごろまで監査役を勤めておられた方が易経のお話をされた。

 曰く。

  天行(てんこう)は健なり。
 君子、もって自強して息(や)まず。


 意味は、
 天の運行というものはすこやかなものである。その中にあって君子は身を慎まなければならない。
 というようなことだそうである。

 満つればやがて欠ける、という。
 運気が強く何をやっても許されるというような驕り高ぶった気持ちになっては行けない。
 確かに時機が到来したときは、前進しても咎を免れるようであり、行けるところまでどんどん進むがよろしかろう。
 しかし、そうであっても驕り高ぶりはいけない。
 身を謹んで、静かに省察する時間を持たねばならない。
 それが心身を健やかに保つ秘訣であるぞよ・・・。

 そんなようなことを仰りたかったのであろうか。
 会社の大先輩にこのような、中国古典のお話をされる方がいらっしゃるとは思いもよらなかった。
 正直言って大変驚いた。
 もう少しこの方と早くお目にかかっておれば、さらに薫陶をいただけただろうに、と残念な気持ちだが、今からでも遅くはない。
 機会を作って、是非これからも色々教わろうと思う。

 目から鱗、のひと時であった。

VISTAという新たな経済勢力のこと

 podcastという情報配信サービスがある。
 ipodやiphoneユーザだけに提供されているものかどうかは知らないが、私の場合はiphoneで聞くため、時々「iTunes」というパソコン用のソフトで英語のニュースや日経系のラジオのような番組配信を受け、通勤電車の中などで見たり聞いたりしている。

 その中で、日経ヴェリタスの配信番組を聞いていたら、「ヴィスタ」という単語が出てきた。
 ヴィスタといえば、最近ならWindowsOSのバージョンの種類だし、少し前ならトヨタの車の名前だ。
 しかしここで言われているのは、そのどちらでもなく、新たな新興工業国群のことを指すらしい。

 VISTA
 それぞれの国の頭文字をとったもので、BRICs経済研究所のエコノミストである門倉貴史という人が、BRICsに続くグループとして2006年11月に提唱した造語らしい。
 2006年からある言葉なんだあ、へえーっと思ってしまった。
 具体的な国としては、
 V:ベトナム
 I:インドネシア
 S:南アフリカ共和国
 T:トルコ
 A:アルゼンチン

 の5カ国らしい。

 いずれも、BRICsに次ぐ成長が期待され、現にそのように勃興しているようであるが、まだ政治的に不安定であるとか、宗教の問題や流行病を退治できないなど、色々な懸案事項があるので、そう簡単にはテイクオフできないかも知れないが、今後動向をよく見ていくべき国々のようである。

 ヴィスタ・・・知らなかった。

我が家の守り主

 いつの頃からか、毎年夏になると、我が家の窓にヤモリがぴたっと貼り付いている。
 台所の窓ガラスにいたり、私の居間のガラスにいたり、一匹か二匹かそれ以上いるのかはわからないが、彼らがいてくれているおかげで、なんとなく守ってもらっているなあという感じがする。
 家守(ヤモリ)というくらいだから。

 今日、帰ってきたら、家の塀に一匹すたっと張り付いていた。
 早速携帯電話のカメラで撮影させていただいた。
ヤモリ

 これが我が家の守り主である。



フォトリーディングの格言その1

 フォトリーディングの講座で聞いた色々なアイディアや知識について少し触れる。
 今日はこれ。

 我々の脳は、目的を明確にするとフルスピードで働く。

 う~ん、そうか。
 凄い!

フォトリーディングの研修を受講した

 名古屋で2日間のフォトリーディングのセミナーを受講してきた。
 脳ミソが興奮しているような感じがする。

 フォトリーディングをスキルの体系としてまとめる点や、脳をシステムとして捉える見方が、いかにも西洋人らしく、面白いと思った。
 スキル、すなわち技術であれば、使いこなそうとするのが自然であり、そうすべきだと思う。
 やり方、手順をきちんと学んで、基本に忠実におさらいしていくことが大切だ。
 それが習熟への一番の近道である。
 また、脳科学というシステム的な捉え方も面白い。
 ハードディスクへどんどん取り込んでいくという考え方だ。

 とりあえず今日はそこまでにしておく。
 詳しくはまた書く。

言いたかないが・・・新型インフルエンザ続報(厚生労働省の怠慢?を問う)

 国立感染症研究所 感染症情報センターというところがあるらしい。
 そこのHP(http://idsc.nih.go.jp/disease/swine_influenza/index.html)を開くと、
「パンデミック(H1N1 2009)」とあり、
<日本国内の報告数(厚生労働省確認分)>として<4986人>という人数が掲載されている。

 但し、(2009年7月24日 6時現在)となっている。

 えっ?と思う。

 今日は8月18日です。
 ・・・ここしばらく全然期日が変わっていない。

 厚生労働省のHPを見ればもうちょっと新しいデータがあるかな、と思い、
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/19.htmlを見てみたが、
 書いてある数字も集計時期も同じ。

 ちょっと、厚生労働省のお役人さん、仕事してないんじゃないの?と思えて仕方がない。

 というのも、今日のニュースで、
・8月になってから9日間で、日本国内で新たに4600人の感染者が確認された
 と言っていた。
 本当なら、上記の4900人余りと足して、1万人ぐらいになっているということだ。

 目くじらを立てて騒ぎ立てる、パニックになるようなことではないかも知れないが、インターネットで開示しているデータの二倍の感染者がいるにも関わらず、そのデータが更新されていないというのは怠慢以外のなにものでもないと思う。

 おかしい!

ローマ人の物語から五賢帝を読む

 久しぶりに塩野七生さんの『ローマ人の物語』を読んだ。
 というか、数ヶ月の通勤電車の中で、ちょぼちょぼと読み継ぎ、ようやく文庫本一冊読み終えた、ちうのが正しい言い方だ。
 今回読み終えたのは『ローマ人の物語 文庫24 賢帝の世紀(上)』である。



 ローマの五賢帝といえば、高校生の時に世界史で教わった、ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの五人である。
 特に今回読んだ24巻はトラヤヌスの巻であり、ローマ史上最大版図を達成した人物として覚えさせられたものだ。

 ローマの皇帝はホンマに色々な人がいるものだと、この人の本を読んでいてつくづく思うが、トラヤヌスという人は、大変謹厳実直な人のようだ。
 イタリア半島出身ではなく、属州出身としては初めての皇帝だった、からかどうかはわからないが、そういうことが影響したのか、頑張らなくっちゃ!という心の声を塩野さんは聞いたのか、「なんでそんなに頑張ったの? そうよね、属州出身の初めての皇帝だものね」というような投げかけをしておられる。

 自慢ったらしいことは言えないが、私も結構(無理すんなよ、と思いつつ)頑張り抜くきらいがあるので、この人の姿勢には共感するところがある。
 但し、トラヤヌスはなぜか男色で、女性を避けたらしい。(この点は私とは大いに違う)
 妻はいたようだが、子どもはおらず、そのため、皇位継承者には他人のハドリアヌスを選んだということだ。
 次のハドリアヌスも男色で、そのため子どもがおらず、そのため皇位継承におけるゴタゴタが起こらなかった、という妙な話である。

 そんなことで、次は「文庫の巻の25 ハドリアヌス」の巻である。
 次も楽しみだ。(ちょっと読書スピードがゆっくり過ぎるかな)

京都奈良大右回りその7(新薬師寺)

 8月5日の朝は、茶粥を食べた。
 私の年齢では、まだバーベキューみたいな、色々食べられます、というのがいいのだが、ここ奈良ホテルではなんでも選べるというメニューではなく、洋食か和食か茶粥か、の三択である。
奈良ホテルの茶がゆ定食
 おいしかった。

 それからホテル内の探検や庭園内の散策をしてチェックアウト。
奈良ホテルの鹿さんたち
 庭園内には鹿たちが悠然と歩いたり、小鹿は母鹿の乳を呑んだりして、彼らの時間と空間を楽しんでいるようだった。

 さて我々はそこから約20分、徒歩で新薬師寺を訪れた。
新薬師寺近く
 これは新薬師寺の角にいた「埴輪」もどきの像である。

 新薬師寺の本堂。
新薬師寺

 新薬師寺は、聖武天皇の目の病気の平癒を祈願するために、藤原不比等の娘である光明皇后が建立したものらしい。
 私は長いこと、「新」だからそれほど霊験あらたかではないだろうと高をくくり、近くを通っても行くことはしていなかった。
 しかし今回参詣したのは、「新」というのが「新しい」ではなく「あらたかな」という意味だと聞いたからであり、またこのお寺の薬師如来と十二神将がとても立派な仏様だということを知ったからである。
 まず薬師如来は、病気を平癒する絶大なパワーを持つとされている。本尊にそれを持たせるために、通常は横木で作る腕の木材を、この仏様については縦木を使い、像全体が縦木で作られているように見せているとのことである。

 この本を見て、新薬師寺は何が何でも行かなければならないと思った。

 薬師如来様も良かったが、それを守る十二神将も千年以上も変わらぬその気迫に圧倒された。
 なんと言ってもバサラが凄い。
 写真が撮れないのが残念だがしょうがない。
 代わりにというわけではないが、御堂の前にちょこんと安置されていた石仏の写真を掲載しておく。
新薬師寺本堂前の石仏
 手にスコップのようなものを抱えておられるが、これはなんだろう。

少し心配なこと(新型インフルエンザと太陽黒点数とお天気)

 新型インフルエンザが静かに広まっている。
 日本では発症者が1,000人になってからすぐに2,000人になり、7月下旬時点では5,000人に近くなっている。
 夏になったら治まるであろうと言われていたが、なんのこっちゃない、相変わらず増えており、8月も日々増加し続けているということだ。 

 国立感染症研究所の感染症情報センター(http://idsc.nih.go.jp/disease/swine_influenza/index.html)によると、
・日本の感染者数:4,986人(但し、なんと7月24日時点のデータ)
・世界の感染者数:177,457人(内、死者1.462人・・・死亡確率8%・・・8月6日時点)
 ということである。
 幸い我が国では死に至る状況は発生していないが、熱への耐性があるのだろうなと思う。

 それにしても、国立感染症研究所のデータが、世界の分(WHOからのネタらしいが)が8月6日のデータで、我が国の分が7月24日時点のものというのはなんたるお粗末なことかと思う。

 一方、太陽黒点活動だが、ここ30日はまたゼロ行進である。
 今年になって2~3個というのが平均であり、多少上向きになってきていたのだが、また低下している。
 そのせいか、日本は初秋のような涼しさだ。
 我が富山でも、夏はじめじめしているので、夏はエアコンが欠かせない。
 我が家はたいてい「ドライ」にしているのだが、今年はほとんどエアコンなしで夜を過ごしている。
 <寝苦しい>という感覚がほとんどないのである。
 冷夏ということが騒がれている。
 米はイモチ病の恐れがあるし、野菜類も軒並み不作だという。

 雇用情勢は相変わらず悪化しているし、農作物は不作が広がっている。
 太陽は元気がなく、嵐や地震は好き放題にやってくれている。
 静かにインフルエンザが広がり、そのうち大変な騒動にならなければいいが・・・。

 日本人の謙譲さ、質実剛健さ、礼節などの美徳が失われていないことを祈り、また自分は、世の中が冷静さを失いかけてもラスコーリニコフにはならないぞ、と誓う

 今日は64年前に、日本の美徳も失われるスタートとなってしまった、終戦記念日(敗戦記念日)である。(これは村上龍氏の『5分後の世界』を読んでの感想だ。)

京都奈良大右回りその6(奈良ホテル)

 8月4日の極めつけは、奈良ホテルである。
 午後6時20分。
 JR奈良駅に到着。
 さあバスで今夜の宿へ行こう、と思った途端、突然の豪雨。
 京都に続き、奈良でも雨。
 それも大雨だ。

 とてもバスで移動できる状況ではない。
 仕方なくタクシーで宿へ。
 去年も行きたいと思っていた奈良ホテル。
 予約を入れようとしても週末はずっと満杯。
 今年は7月下旬に予約を取ろうとしたら難なく予約できた。 
 不況の影響か、そもそも季節が違うから予約できたのかはわからないが、いずれにしろ、奈良ホテル、である。
 一人一泊10万円という部屋もあるらしい。(もちろん我々はそんな高額な部屋には手が出ないが)
奈良ホテル夜景
 夜なので何の写真かわからないかも知れないが、奈良ホテルなのである。

 ということで、ドアは重厚。
 ホテルマンは丁寧。
 机は巨大なオークか何か。
 パソコンのディスプレイの背面には茶色のどっしりとした感じのシールが施してあって、けばけばしさがない。フロントの雰囲気を壊さないような配慮が行き届いている。

 食事はゆったりとした懐石。
 食後、軽くアルコールをと妻を誘ってバーへ。
 なんたって奈良ホテルのバーですよ。
 ピアノトリオのジャズが流れ、心地よい時間が流れる。

 風呂は、小ぶりではあるが檜風呂。
 香りがいい。
(但し、後日、自宅の近くの温泉に入ったところ、檜風呂は所詮温泉ではないことをカバーするためのごまかしなのかも知れないなあと感じ、田舎の良さを改めて感じ入った次第。だが、この時はそんなことは露ほども思わず、檜風呂を堪能したわけである。)
 正直言って風呂から上がろうと思わなかった。

 翌朝は、折角だから「茶粥定食」をいただいた。
茶粥定食

 庭には鹿がいて、のんびり過ごしていた。
 たまにはこんな贅沢もいいだろう。

 しかし8月5日は、一転修行の一日となる。

京都奈良大右回りその5(あじき路地)

 8月4日の旅の続き。
 NHKの衛星放送「丸竹夷にない小路」で見た「あじき路地」へ。
 色々小路はあるものの、わけのわからないところへ紛れ込んでしまうと後がしんどいので、目当てを決めての今回の旅行である。
 「あじき路地」はお店もあるようなので、そこの住人の皆さんの生活空間であると同時に、外部の人が訪れてもいいかな?と思い、選定した。

 さて我々は清水坂を西へ下って東大路通へ。
 東大路通をそのまま横断し、斜め前方の東山消防署のわき道をさらに西へ。
 六波羅密寺の看板を見ながら、そのまま道なりに直進。
 やがて右の角に「サウナ」と書いた「大黒湯」という銭湯の看板が。
大黒湯
 そこまで来た途端に驟雨来襲。

 突然の雨で、逃げ込むところもなく、まさか今回は雨は降らないだろうと思っていたので傘の持ち合わせもない。
 とりあえず「大黒湯」の軒下へ走り込む。

 10分以上雨宿りしていただろうか。
 西洋人らしき英語使いの外国人が「この辺にONSENはないか?」と聞いてきた。
 久しぶりの英語でのコミュニケーション。
 目の前にあるこれがONSENだ、と言ったもののやってんのかなあ、と思い、すぐそばで家に入ろうとしていたおばあさんに「このお風呂やってます?」と聞いたところ、今日は休みだよ、とのこと。
 ついでに「近くにお風呂ありますか?」と聞いたら、数分先にあるやのこと。
 わからないなり「Go Straight、and turn right」と言ってみた。
 どれくらいか?と聞いてきたので「for 4or5 minutes」とわからないなりに答えた。
 さあ、この人は無事にONSENに辿り着けたでしょうか。

 と気にしつつ、雨も小降りになったので地図に従って「大黒湯」から右へ折れ、さあ「あじき路地」を探そうと歩き出したらすぐに見つかった。
 数メートル先に「あじき路地」の入り口があった。
 地図では山城町というところになる。
 実は「あじき路地」とは書いてない。
 テレビで入り口の映像が映っていたからわかったのだが、ごく普通の黒っぽい壁が続く路地である。
あじき路地内
 ところで「あじき」とはなんだろう?
 大家さんの苗字だろうか?
 だとすると「安食さん」というのかな? それとも違う字かな? などと考えつつ路地の中をふらふら歩いて、路地の中の延命地蔵さんに手を合わせ、あじき路地を後にした。
あじき路地の延命地蔵
 大変あじのある路地だった。
 こういうところで風情を感じながら日暮しするのも悪くないなあと思った。

 まだ雨がちらついていて、妻のご機嫌もすこ~しずつ斜めを向きそうになってきたので、タクシーを広い、JR京都駅へ。
 さて次は今夜の宿のある奈良へ向けて移動。

とやまキトキトBIZねっとの第18回例会参加

 昨日の午後は、私が参加している「とやまキトキトBIZねっと」の勉強会に出席。

 成川友仁さんという中小企業診断士の方(他にも資格色々お持ち)の講演であった。

 お題は『子どもたちを笑顔にする仕事~「子どもの権利条約フォーラム」の体験から~』
 内容は、成川さんが実行委員として活躍されている「子どもの権利条約フォーラム」に関して、「子ども権利条約」というものの趣旨説明や活動内容のご紹介。

 最近は極端な少子化が進み、ただでさえ子どもが少なくなってきているのに、幼時虐待や育児放棄など、子どもたちの居場所がだんだん少なくなってきているように思う。
 しかしそれに対して具体的に何かできるかと言っても、我々個人レベルでできるのは、せいぜい我が子をちゃんと育てるよう努めること、子どもの通う幼稚園や学校行事への手伝いなどを通じて大人と子どもの交流の場を持つこと(しかしそれはあまり責任のある行動はとりがたい)、町内会の行事で子どもたちと触れ合うこと、ぐらいではなかろうか。
 私ができているのはせいぜい最初に書いたことぐらいだ。

 「子どもの権利条約」とは、1989年に国連で採択され、日本では1994年に批准された条約で、子どもの権利として「生きる権利(生存権)」「育つ権利(発達権)」「守られる権利(保護権)」「参加する権利(参加権)」などを守るよう定められたものだそうだ。
 「子どもなどに権利なんて?」と眉をしかめられる向きもあるかも知れないが、世の中には、生まれてきて大きくなるという、ごく当たり前の権利すら奪われている子どもたちがいるという悲しい現実がある。
 麻薬で身を滅ぼして10歳の我が子を育てることすらできなくなってしまうタレントもいて、一体なんなんだ!と思う。

 成川氏は講演の中で、
・あなたの仕事を通じて子どもたちの笑顔に直接ふれることはありますか?
・直接ふれることがなくても、あなたの仕事の成果で子どもたちが笑顔になる場面を想像できますか?
 と我々に問いかけておられた。

 う~ん。
 仕事で子どもの笑顔に接することなど、ついぞないなあ。
 それどころか、大人の笑顔にすら接していないのが現状だ。

 働くことはもっと喜びに直結していいのではないか。
 大人が働くことに喜びと意義とやりがいを感じなければ、生きていくことにすら絶望が広がっていくのではないか。
 それが今の日本の病原となっているのではないか。
 そんなことを感じさせたれたひと時であった。
 せめて我が子ぐらいには、生きる喜び、生きている幸せを、身をもって伝えて行きたいものだ。

今日はくたびれました

 納屋を改修した。
 ついでに庭も少し改修(?)した。
 庭に置いてあった丸い石を移動しなくてはならなくなった。
 母から、土の中に埋めてくれ、と言われた。
 ただし、そこに石があることがわかるように。
 つまり敷石として使いたいということである。
 この休暇中にやってくれとのことであった。
 都合よく、というか、朝まで雨が降っていて、地盤がゆるくなっている。
 土を掘り返すなら今日だな、と思った。

 午後は異業種交流&勉強会の「とやまキトキトBIZねっと」があるのだがなあと思ったが、明日まで置いておいて土が掘り返しにくくなるのは余計につらい。
 頼みの子どもたちはともにでかけている。
 まあ、丸石10個ぐらいなら一人でできるわい、と気合を入れて10個分の土を掘り返し、そこに石を埋めていった。
 いやあ。
 大変疲れた。
 汗もたっぷりかいた。
 たまには肉体労働もせにゃあかん。

京都奈良大右回りその4(東山から産寧坂、幻の清水寺)

 祇園のパフェ屋(飴屋)「祇園小石」を出てからは徒歩。
 八坂神社の前を通り過ぎ、細い通りを歩く。

 電柱。
東山の電柱
 よく見ると、地肌に茶色のペンキが塗ってある。
 へえーっ。さすがに、ローソン同様、この辺は電柱も風景に溶け込ませているんだ。
 と気づく。
 7年半の大阪生活の中で、この辺はもっともよく来ていた地域の一つだが、今日まで気づかなかった。

 さらに歩いていくと・・・。
 またまたあったありました!
 小路が。
石塀小路
 中に入ると、白亜の土塀の建物が。
 よく見ると・・・ここには掲載しませんが、やはりNHK衛星放送の「京都、丸竹夷にない小路」に出ていたような、某ギャラリーが。確か出ていたような気がするのだけどなあ・・・・。

 そして先ほどからとても気になる粽(チマキ)が、家々の軒に吊るしてある。
 なんだこれは?
蘇民将来
 チマキには「蘇民将来子孫者也」と印刷されている。
 蘇民、って何?
 ・・・というか、誰?
 蘇我氏のこと?

 私はかねてより、歴史で<暴虐の限りを尽くした蘇我氏>と言われる人々は、必ずしも悪人ではないのではないかと感じている。
 そういう感じを持って最近色々な本を眺めていると、どうも行政改革を推し進めていたグループもしくは指導者が蘇我氏で、それに対抗して時代を逆行させたのが彼らを歴史の闇に<悪人>というレッテルを貼って葬ったグループである、というような論調もあって、オレの考えていることとおんなじやん!なんてひとりごちていたりするのであるが、真実はわからない。
 だけど、千葉県に蘇我というそのものズバリの地名があったり、こういうふうに京都の町家で「蘇民将来」なんていうチマキ(厄除けの意味もあるのかな)を見たり、法隆寺の聖霊会という儀式で「蘇莫者」というスター(トリックスター?)が出てきたり、というように「蘇」という妙な文字を使った人物や厄除けや儀式などが、いまだにあちこちであるということが、なんとも「蘇我氏」を彷彿させて好奇心をわかせる。

 そして、高台寺の下をさらに南下し、八坂の塔へ。
 八坂の塔
 この辺りはいつもながら風情がある。
 八坂の塔は聖徳太子が建立されたという言い伝えである。

 あれ?
 聖徳太子と蘇我氏。
 やはり何か関係があるのかなあ・・・と思ってしまった。

 やがて一行は二年坂を過ぎ、産寧坂のみやげ物店へ。
 みやげ物店では、金の蒔絵シールというのを買った。
金龍の蒔絵シール

 ちょっとケバイが、オリジナル携帯を作るため&子どもたちへのプレゼントということも含め(子どもたちには別のシールだが)。
 それから、漬物店に長いこと逗留した。
 そのため清水寺は断念。
 次の行程までまだ歩いてしばらくかかるので。

京都奈良大右回りその3(パフェを訪ねて)

 初めて祇園を訪れた際、偶然、都路里(つじり)という喫茶店に入った。
 喫茶店というのがいいのかどうかわからないが、そもそもはお茶屋さんのようである。
 抹茶パフェがとてもおいしいらしい。

 辻利という名で、ペットボトルのお茶やアイスクリームなども販売されている。
 たぶんこれが本当の社名なのかも知れない。

 お店は2階にあるのだが、階段の下、通りにまで人が並んでいた。
 それでも当時は若かった(?)せいか、並んで入った記憶がある。

 その後、同じ店には(行列がいやで)行っていないが、高台寺店には何度か訪れた。
 妻がその都路里のファンで、時折本店(祇園店のこと)に行きたいとのたまう。

 今回、ラーメン店の次はパフェ屋に行くぞ!という企画をした。
 私的にはラーメンを食べてからパフェを食べるというのは気が知れない、というのが正直な思いだ。
 どうも、妻も「なんでラーメン食べてからすぐにパフェ屋さんに行くのよ!」とプンプン。
 しかし、合理的な道筋を考えるとそれしかない。

 つまり、竜安寺⇒白川通⇒清水寺⇒山城町辺りの路地⇒奈良へ
 という行程を考え、その中に祇園の都路里を入れようとすると、白川通と清水寺の間に入れるのが、もっともスムーズに「一筆書き」で動ける。(こういう考え方は女性には理解してもらうのがちょっと困難だが、かと言って後戻りするような行路にすると、それはそれで大変な顰蹙を買うこと請け合いなので、強引にこのルートにした)

 ラーメンの後にパフェ、というのは47歳のおっさんにとってはかなり違和感のあることだが、しょうがない。たまには妻の願いも聞かねば。(妻もあまり芳しくは思っていなかったようだが)

 さて、その都路里だが、事前調査で、いつもの場所ではなく仮店舗で営業しているということを知っていたので、「銀閣寺道」からバスに乗って「祇園」で下車し、一路仮店舗のある「倭美座祇園くろちくビル」へ。
 まあ平日だし、場所も移ってるし、楽勝で入れるだろう、と高を括って行ったら、相変わらず行列。
 さすがに外までははみ出していなかったものの、どこから列が始まっているのかわからないので、妻も弱気になり、手前の「祇園小石」という飴屋さんへ行き、少しは並んだが10分ほどで席を案内してもらい、抹茶パフェを注文。

 「都路里」から「祇園小石」に向かうほんのちょっとの距離の間に、歩きながらふと横を見ると・・・
 ありました。
ぎをん小路
 小路が。
 一回そういうものに関心を持つと、それまで見えなかったものが見えてくる。
 この界隈も、大阪勤務時代には何度となく通っているのだが、こうしてその異様さが強烈な印象を伴って私の目に映るというのは、やはり「小路」というものを上記の番組を見て以来ずっと意識しているからだろう。
 人のお住まいを「異様」などというのは失礼だが、人一人ぐらいしか通れそうにない狭い路地が「○○通り」というような名前がつき、その中に人が住む家が建っているというのはやはり違和感というか、一種異様な感じが否めない。地方に住んでいる我々には理解しづらい世界である。
 でもそれが楽しい。
 そういう異スポットにめぐりあえるのが旅の醍醐味の一つだ。

 ということで、妻はとりあえずパフェにありつくことができ、私はその直前に見た小路のことをあれこれ思いめぐらしていた午後のひと時であった。

 ところで、毎回思うのだが、祇園のローソンは青くないのである。
祇園ローソン
 他にもあるのかも知れないが、全国でも極めて珍しい、その土地の色になじむように合わせてある店作りである。
 条例の規制があるためだろうけど、なかなか洒落たことだと感心している。
 昔は公衆電話などもその土地の特色を活かした作りをしていたものだが、最近はそもそも公衆電話自体が減ってしまって、意匠を凝らすどころではなくなってしまっている。
 う~ん、時代の流れだなあ。

京都奈良大右回りその2(白川道のてっぺん)

 去年の秋、NHKの衛星放送で「京都-丸竹夷にない小路」という番組をやっていた。
 偶然録画したのだが、とてもミステリアスな番組で興味をそそられた。
 これは行かずんばなるまい!と思った。

 丸竹夷、とは、京都に伝わる童謡のようなもので、色々な通りを覚えるための歌らしい。
 Wikipediaで調べたら、60ぐらいの通りがその歌の中に盛り込まれているようだ。

 で、「丸竹夷にない」ということなので、その60の通りにない、細かな道・・・小路である。
 そういう小路が、京都の町の中には有象無象(って言ったら叱られるかな)にあって、
そういう通りの数々を、ドラマ仕立てで作ったのが上記の番組である。

 役者の「甲本雅裕」という人が、独特の味を出していた。
 恋人の親に挨拶に行く、という設定。
 その恋人役を「田畑智子」という女優がやっている。
 通りの名前を書いたメモを部屋に忘れて京都までやってきて、ありゃりゃ!というわけで、
慌てて携帯電話で連絡を取ろうとするのだが、その携帯電話も忘れてきてしまっている。
 困り果てた主人公は、細かな小路、というようなキーワードを手がかりに、書店で通りの
名前が載っている本を買って、手当たり次第に色々な小路を訪ね歩く。
 車が通れない狭い路地がほとんどなので、我々が観光旅行の際に目にするということは
まずない。
 そして、遂に三日目、ようやく彼女のいる通りを尋ね充てる、というストーリーである。
 行けども行けどもそれらしい小路に合い当たらず、本当に困じ果てた、という甲本雅裕
さんの表情が実にわびしげで良かった。

 小路と先ほどから書いているが、これらの道のことを「路地(ろーじ、と発音するらしい)」
と地元では言っているようだ。

 そんなこともあり、今回の旅行では、路地を是非訪ねてみたいと思っていた。
 とにかく京都の町の中には至るところに、そういう空間があるのだから、取り立ててこの
路地へ行かねばならない、ということもないのだが、時間にも限りがあるため、具体的な
目的地を持って行ってみようと思った。

 その一つが「白川通」である。
 といっても、これは路地ではない。
 京都の路地を調べていて偶然見つけた、結構メジャーなストリートである。
 その白川通には「てっぺん」というラーメン店がある。
 そこを目指して行った。

 竜安寺のバス停から「金閣寺道」で乗り換え、「銀閣寺道」で下車。
 そこから通りを一つ隔てた狭い小路に行く。
 バス停から徒歩5分くらいのところに、「てっぺん」はあった。
 しかし・・・。
 <火曜定休日>の文字がむなしくドアに掲げられていた。
 今日は休み。
 信号のかわりばなを走らされた妻の怒ること怒ること・・・。

 しかし。
 白川通はラーメン店の激戦区である、とどこかに書いてあった。
 すぐに見つかるだろうと、表通りに歩き出した。
 じきにおいしそうなラーメン店が見つかり、無事昼食を済ませた。
ラーメンますたに
 ピンチヒッター扱いで申し訳ないが、<ますたに>さん、おいしかったですよ。
 

京都奈良大右回りその1(竜安寺)

 8月4日から5日にかけて、京都から奈良、大阪と大きく右回りの旅行をした。

 まず初日、朝一番のサンダーバード(午前7時7分発)で魚津駅を出発。
 福井を過ぎたところで車内アナウンス。
 湖西線で人身事故があり、そのため琵琶湖の東側を通る北陸線から迂回して行くとのこと。
 翌日の新聞では、比叡坂本駅でホームから人が落ち、大阪発のサンダーバードがブレーキを踏んだが間に合わず死亡した、とのことであった。
 結局、通常の路線に我々の列車が闖入してしまったわけだから、当然スムーズには走られず、約1時間遅れの午前11時過ぎに京都着。

 1時間の遅れは旅程に大きく影響する。
 しかも暑い。なんと最高気温35度の日となった。

 まず向かうは竜安寺。
 ここ数年ずっとあの石庭をもう一度見たいなあと思っていた。
 直通までは少し時間がある。
 京都駅のバスターミナルで通行人の整理をしていたおじさんに聞くと、立命館大学行きで終点まで行けば歩いて5分だよ、とのこと。
 それに従って行く。
 終点。
 500円で一日乗車券というのがあるのだが、ターミナルで買う時間がなかった。
 バスの中でも販売しているという。
 この先間違いなく500円以上は利用する。
 買おうと思ったが、私も妻も、バス一区間分の小銭はあるが、千円分の小銭がない。
 運転士に一万円札で買えないか?と言ったがお釣りがないとのこと。
 小銭を用意するのはバスに乗る時の常識ではある。
 無理ならしょうがないと思い、440円を出そうとしたら、運転士が私の動きを制して「次にバスに乗るときに間違いなく一日乗車券をお買いになるのであれば、その時に買って下さい。今払われると二重になりますから」と言ってくれた。
 これは嬉しかった。
 奇特な人もいるもんだと思った。旅の始まりのラッキーに感謝した。

 竜安寺。
 到着してビックリ。
 外国人の団体の多いこと多いこと。

 お堂の入り口に「三脚使用禁止」と書いてあった。
 え?ということは写真撮影はOKなの?
 と思って付近を見ると、外国の人々があちこちでシャッターをパシャパシャやっている。
 日本の客も同様にシャッターを切っている。
 これだけ外国人観光客が多くなると、日本の寺も国際標準になってきたかなと感慨。
 まあ仏様を写すのとは違うので、いいのかな。

竜安寺石庭
 人が多く、前方までなかなか行けなかったが、ようやく方丈のへり、屋根の下に辿り着き、腰を下ろした。
 妻が一言。
 「この風を感じたかったのよ」
 暑い中を歩いてきたため、ふと出た一言ではあるかも知れないが、日頃苦労をかけている妻のこの一言で、連れてきて良かったなと、私も心底癒された。


 寺務所で朱印をお願いしたときに、明石散人さんの『竜安寺石庭の謎』という本が目に入り、買ってしまった。



 明石散人さんの本としては、この他に高橋克彦さんとの対談である『日本史鑑定』というのがあり、それはなかなか面白い。


 が、それ以外の本は、今までパラパラ読みをしたところ、どうも学術的というか説明調というか、謎解きのプロセスを書いておられるのだが、難しい。しかも最終的に<これが答えだ>というのがはっきりしないので、さんざん謎の中に入り込ませられて頭が混乱した挙句に答がないという消化不良な状態になってしまう。
 結局この『竜安寺石庭の謎』もそんな感じだ。
 でも、細川政元という人物には俄然興味がわいてきた。
 その意味では買って良かった。

 ということで両替もできたところで、竜安寺を後にして、バスで京都の北部を大きく右旋回。
 途中「金閣寺道」というバス停で乗り換え(その時に一日乗車券を購入)、「銀閣寺道」へ。

京都奈良大右回りという結婚20年旅行

 結婚20周年である。
 記念行事、ではないが、旅行ぐらいはしたいなあと思っていた。

 加えて、昨年は転職という一大転機を迎えた。
 本当はその時に1ヶ月ぐらいのインターバルを設け、1週間ぐらいゆっくりと旅行をしたり、片付けものをしたりして、少しじっくりと来し方行く末を考える時間を持とうかとも思っていた。
 しかしまだ「間」を空けるべき時期ではないような気がしていた。
 なんと言ってもまだ46才(去年)、まだ仕事という世界から一月といえども抜けるのはいかがなものか。
 しかも子どもたちは受験勉強の真っ最中。
 というようなこともあり、昨年の流浪の旅は断念。

 今年は、結婚20年。私は社会に出て25年。前の会社のままだったら25年の永年勤続表彰をいただいている年だ。
 そして子どもたちは、とにもかくにも上の学校に一つずつ上がり、さて8月。
 うまい具合に妻と私の休みがうまく合致したので、久しぶりに京都・奈良方面へでも行こうか、ということになり、折角だから、プチ贅沢旅行と行こうじゃないか、と、奈良ホテルという、そうそう泊まれない超高級ホテルを予約し、仕事は後から休みをとるメンバーにお願いして、いざ、出発。 

 そういうわけで、今回の京都奈良旅行は、結婚20年&我が社会人25年という二つのターニングポイントを記念しての一泊二日の旅行ということにした。
 旅程は、結局、京都の西の竜安寺を皮切りに、右旋回して数箇所をめぐり、奈良まで下ってさらに右旋回して大阪へ、というコースをたどった。
 それなりに無駄の少ないコース設定をしたつもりだが、今回は、今まで行っていないような路地やらなんやらと名所旧跡以外も少し加えた行程にした。
 
 詳しいレポートは稿を改める。

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