中小企業診断士 中陳和人の                 「夢をかなえるブログ」~目指せあの頂へ~

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仏像窃盗について考える(収まり悪いんちゃう?)

 朝からむかっ腹の立つニュースをやっていた。
 どこぞのお寺(普段は無人らしい)で、仏像が盗まれたというニュースである。

 仏像は私も大好きだ。
 いつも眺めていたいという気持ちがある。
 心安らげさせてくれたり、自分の内面を振り返らせてくれたり、もっといかれ(いかって魔を断ち切れ)と呼びかけてくれたり、色々な声を私の心に呼びかけてくれる。ような気がする。

 それと同じ気持ちが窃盗の動機かどうかはわからない。
 金目当てかも知れない。
 しかし、自分の住まいの一角に置いて眺めるにせよ、他の誰かに渡してその人の家かどこかで眺められるにせよ、いずれにしても凡俗の人間のありかに置かれるわけである。

 仏像はなぜ拝まれるのか。
 仏像が置かれている場所=お寺は、我々庶民が信仰しようとして純粋な気持ちで訪れる場所である。
 訪れる人々が崇高な気持ちで訪れる場所。
 これは神聖な場所と言えるのではないか。
 お寺が作られた動機は、人の不満を宗教で吸収(救済ではなく吸収)しようという、たとえば統治目的であったり、人々を救済するという名目での金集め目的であるかも知れない。
 僧侶とて、必ずしも神聖とは限らない。むしろ、なまぐさナントカと言われるくらいだ。

 でもそこを訪れ、そこにいます仏さまを拝もうという人々、我々庶民は、そういう、建立目的とは無関係な次元にいて、かなりピュアな気持ちで訪れているのである。
 そういう場所は人々の気持ちを反映して、おのずと神聖な場所になるはずだ。
 そういう神聖な場所にあるからこそ、俗人が作ったモノでありながら、仏像は崇高な面持ちを湛えているのであり、拝みの対象となりうるのである。

 盗人さんへ。
 あんたの家の仏間に飾っても、ちっとも崇高さはないし、ありがたみも感じられないはずだよ。
 逆に、こんなすすけた人形に、なんでみんなお寺へ拝みに行くんだろう?って違和感すら覚えるのではなかろうか、と思う。きっとどんな立派な仏壇や飾り棚に収めても、収まりが悪いはずである。
 そう感じられたら、それはあんたがまだまともな感覚を少しは持っていたことの証拠になると思う。
 なぜって、あんたの家には誰も頭を下げやしないから、神聖な場所にはなりえない場所なのだから。
 普通の人間が普通に暮らしている、俗なところに安置されている仏像は仏像ではなくただの人形でしかないのだから。
 そのことに早く気づいて、元の場所にお返しすべきだと思う。(当然、世間を騒がした責任は負わねばならないが)

 まったく。
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